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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

Reviews and Resolutions: Love Your Flaws2026.01.22

帰国して数日後からの寒波が辛すぎて、先週まだオーストラリアにいたことが嘘のよう…ニューカッスル&シドニーの滞在を経て、じゃあ次はどうしたい?がじわじわ見えてきそうな感じです。一つ明確なのは、来年同じ時期に行くなら今(大寒あたり)!ということ…寒さのピークの前に帰ってきたのは誤算。

あとは、次の旅をどうするか。また日本の暑さピークぐらいの時に脱出するのが良さそう。そのうちまた「ここだ」という場所が来るかもしれないし、ニューカッスルまた行きたいなという気持ちもあるし、今度はシドニーも何泊かしてもいいかな、とか、メルボルンも1回行ってみたいんだよな、とか。カナダは行ったことがないから行ってみたい、という気持ちもある(行くなら夏)。

ニューカッスルは、新しく何かを、というよりかは好きなカフェや公園に定期的に行きたい習性の現れ。ここに行けば心地が良いとわかっているから。ちょっと顔見知りの人に手を振りに行きたいから。日本でもやってることは同じ。それをするには随分遠いし費用もかかるのですが。。

日本と海外をどういうふうに行き来したいのか、も、もう少しクリアにしたい。というかなりそうな感じ。言ってしまえば、もっと頻繁に海外に行きたいのかもしれません。上に書いた通り、お気に入りのカフェに「どうも〜」と行って、「あ、来たね」と迎えられる感覚で海外にも行きたいんだと思います。プラス、行ったことないけど行きたいな、というところにも行きたいし。そこでの「暮らし」がある感じもやりたいけど。暮らしがある感じをやると考えた時に、HOW?!というところで行き詰まるので放置。HOWはわからんが、こういう感じがいいのよ〜と想いだけ馳せておく。日本から完全に移住、というのはあんまりない気がします。

あるクラスで、今年の抱負の話を英語で質問してくださって。わたしの「自分へのダメ出しとか、けなしとかに気づいて、焦りや不安から行動しない」みたいな話と、Sさんの「完璧、を目指して欠点をどうにかしようとしたり、完璧なものを選ぼうとするのではなくて、欠点と思っているものを愛する視点を持つ/愛せる欠点から選ぶ」という話から浮かんだ言葉を今年のフレーズとして置いておきます:

Love your flaws: accept and embrace your imperfections, recognizing they’re part of your unique humanity, not weakness.

ここをどうにかしたい/こういうところがなければ/こういうとこ微妙よね…と思っているようなことも、短所や欠点じゃなくてただの個性/わたしの一部だというふうにピントを合わせに行くと、胸の支えが取れるような、視界が広がるような感覚。

202601182026.01.18

夜8時ごろには着くはずの帰国便は、機材のローテーションのため1時間、搭乗後、滑走路混雑のため1時間遅れ、夜10時に関空到着。のろのろ流れてくる荷物をピックアップして、迎えに来てくれていた父と合流して関空を出たのが11時(父に出発の連絡をするまでは電車で帰る予定だった。ありがたや)。8割がた意識を失いながら0時すぎに帰宅しました。半分以上寝ているのにお風呂に入る自分。泥のように寝たいけど洗い流してリセットして寝たい。

海外から帰ってきたその日や翌日は、なんとなく変なな感じがするので好き。もうちょっと寝てたかったけど9時には起きて、スーツケースのキャリーまで洗って片付けて、何なら家のトイレ掃除までしたわたしはほんとに偉い。大変穏やかな天気で洗濯&お片付け日和だったので、とっても気持ちよかったのでやってよかった。母が作ってくれた肉うどんならぬ肉素麺がめちゃくちゃ美味しく感じる。

実を言うと、特に滞在のはじめは「わたし一体ここで何したかったんやっけ」と思ったりもしましたが、そういうのも含めて自分の中の好き嫌いというか、こういうことに心躍るんだな、とか、やりたいんだな、とか、こういうのは嫌なんだな、みたいなことを改めて感じられたと思います。

9歳ぐらいから、いつか海外に住むんだろうなと思い続けて30年。数週間や数ヶ月の滞在は何度かしてきましたが、時折海外在住でない自分を「…おかしいなあ?」と思ったり。かといって日本の生活も空気もやっぱり好きではあるので、海外にいくつか好きな土地はあるもののこの地に根を下ろしたい、みたいな強い気持ちもなく。まあなんかうまいことなるか、ぐらいの気持ちでイメージを膨らませていきたいです。

Interval between 2025 and 20262025.12.31

ああ、2025年の大晦日だ…と、やっぱり何か少しでも書いておきたくなったので。とはいえ、わたしの2025年はは1月終わりの風邪明けから始まったと感じたので、オーストラリアから帰ってくるまではインターバルだぜ〜と思っています。

年々、1年やら時間の感覚が緩くなっていて、「そのとき」をできるだけ感じて、楽しむこと、小さくてもたくさん「楽しみなこと」がある幸せが大事になってきております。

今年も色々あったけど、「自分を大事に」の根や芽が少しずつ育ってきているのを感じます。少し今までとはその定義というか、意味が変わったかな。「自分と自分」の関係が「世界と自分」の関係にmirroringしているというのも、どことなく腑におちてきたような。

Cultivate the relationship with myself. Remember I’ve always been whole and complete as is. 仕事も人間関係も、わたしを取り巻く世界の全てがその先にあることを胸に明日からも日々を送っていきたいです。

202511302025.11.30

Another month with some enlightening moments. But been hesitant to write as it’s not really related to English much.. So at least I’m going to try to write it in English.

The biggest thing was that I might have realized why I’ve been obsessed with getting a partner or an apartment to live by myself, and hasn’t been feeling pursuing them itself isn’t exactly right. I feel like now I know what I wanted by getting them: the feeling of being released from the role of “reliable/dependable person”,  “Ms. getting-it-together”, “pillar of the family” or “protecting the family”. Before I realized this, I’d felt something suffocating even when imagining having a partner or an apartment. I could only imagine being the one who is dependable, knowing everything and preparing everything. Somewhat I’d felt I would have to be that person even after I get what I thought I wanted, and I don’t want to be that person anymore.

It’s not like I’d been forced to or expected to be like that, and I won’t say I’d actually done many things physically or financially to play that role, but I think I had always had that mindset somewhere and internalized that character for almost my entire life. And I was afraid if it would be that way my entire life unless I get out to somewhere else. I wasn’t even aware that was the reason for what I wanted, so I wasn’t able to draw it in the way I felt right. Now I know I just wanted myself to know that and nobody’s actually hoping me to play that role.

With knowing that, I started to feel like it doesn’t matter wherever I live or if have a partner or not. What matters more is that if I feel okay not trying to be THAT person and no one’s going blaming me for that.

Honestly, it’s kind of hard to stop trying to live up to the expectations of people around you, play the role so that things work more smoothly. But if you noticed that you’d built yourself through external validations, maybe it’s time to know that’s not necessary to be who you are, and seek the self-image that you feel easier, that you can breathe deeper.

いつの間にか自分で自分のキャラ設定(これも自然と無意識に創り上げてきたもの)に息苦しくなっていたことに気づいた話でした。私の場合は、パートナーを得たり部屋を借りたりすることでそこから抜け出せると思っていたようです。しかもそれに気づいてなかったので、「パートナー」やら「一人暮らし」やらを求めつつ、その先でまだ(あるいはより一層)そのキャラ設定だったので「なんかちがう…」となっていたのでした。気づいたことで行動がめちゃくちゃ変わるとかではないけど、自分へのダメ出しは減ると思うし、何かをキャラ設定から抜け出す条件にしなくて良くなった気がしますだ。

202511092025.11.09

I don’t remember when I wrote the last entry, but it feels like it’s been a while. Ah, I guess it’s when I wrote about waving hands to each other. Thankfully, I think I had some enlightenment through people and events. Also, I realized we’ve been doing or achieving many even when we think we’ve been stuck or haven’t done anything.

Basically I have a happy, fulfilling day every day and I’ve been so grateful that I can look forward to the days coming, feeling excited about what’s on each day. I think I just need to be there, enjoying each moment, but I feel haste almost every day at the same time. Maybe it’s because even though I want to have an apartment on my own, part of be isn’t sure that’s the lifestyle I want. On one day I’m so energized to make it happen, feeling no fear financially, and on the other day the excitement is gone, doubting my idea, “Is living on your own what you really want to do? Is it really the way you can be yourself that you want to be? Doesn’t it mean you’re denying what you are now?”

It’s pretty annoying what you just simply came up with as an exciting idea can’t be the way it was and can’t be pursuit straightforwardly. What I see changes depending on the way I feel at the moment.

What I can do is to be okay with not having decided and enjoy what’s in front of me, I guess.

Anyways, I realized it’ll be halfway through of the year 39 of my life soon. I’ve been feeling like I’m already 40, so I’m kind of relieved I still have 6 months to go. I don’t want to be bound by age, but here I am! It’s a part of human life.

Recently I heard one of my dad’s friends got  3 months to live. It’s a shock, but sounds like he’s still fine and happy with his family now. I think whether he’s happy or content every moment  as much as possible matters the most, so that’s good. This sort of news or an idea of death always is a fuel for me to live, if you know what I mean. It helps me get back to here and now, and encourages me to enjoy my life to the fullest.

ビシッと決められない自分にもやもやすることをダラダラ書いて終わったな…迷う時はとりあえず目の前のことに戻ってくるがいいのかな〜と思ってそうしています。半年って色々あるなあ。半年後、どうしてるかな。そうしている間にも生徒さんたちから英語へのハードル下げたり抵抗がない状態を続けられてよかったエピソードをちょいちょい聞く最近。わたしにできることができていてよかったよ〜

Waving Hands to Each Other2025.09.25

The other day, I went on a solo northern Osaka tour, to Mametsubaki and Guli Guli. At Mametsubaki, I enjoyed Kumiko-san’s drink and sweet, and at Guli Guli, I saw Iwase-san and her unit’s exhibition, and Tsuda-san’s exhibition..

いわせさんと話していて印象に残った、「がんばろーねー!」という声かけの話。長い知り合いの作家さん同士、久々に会ったり、お互いの展示に行ったりしたときにこう声をかけ合って、ああ、みんなそれぞれ頑張ってきておるのやな(辛い意味じゃなくて)と力をもらう、というような。そういえば、私も先日のまさんに会いにvagueへ行った時に「えいえいおー!」という気持ちだったなと。

それとつながって、わたしがウロウロする理由も近いものがある気がしました。最初は、出かけて行って顔馴染みの人に会ったり、少し言葉を交わしたりするのは、笑顔で手を振り合っている感じだなと思ったのですが、のちに、それは人だけじゃなくて、その人が作った作品とかともそういう交流をしているかも、と思い、果ては視界に入っている全ての人やものと、Hi! とやっている気持ちがあるかもしれない…と感じたのでした。ま、そう思うと楽しいしね、という気持ちの持ちようでもあるんですが。

と言いつつ、次の瞬間にはすっかりそんなこと忘れていたりもしますが、折に触れて思い出してゆるみたいです。

Fill Up Your Own Cup2025.09.24

There have been the moments where I thought, “I want to write this as a diary article”, but those ideas always became foggy and disappeared. I also write diary-ish notes on my note app, so maybe I was just satisfied by doing that.

帰国してからの「楽さ」は、前回も書いた「自分に還ってきた感」ゆえと、「あ、〇〇ができてる・できてないって自分の存在価値と関係ないんか」に戻ってきて「自分からの肯定が欲しかっただけ」「自分に嫌われたり絶望されたりするのが怖かっただけ」「感じてはいけない感情はない」「出来事はニュートラル。自分のその瞬間の状態が色付け(意味付け)してるだけ」「最善も最悪も自分の中で感じているだけ、自分が選んでいる」と思い出すとゆるむからだと思う。今までも似たようなideaには出会ってきてるんだけど、帰国して少ししてから、フェリファブさんという方の動画に出会って、結構クリアに腑に落ちた気がします。

だからって向上心やwant toがなくなるわけではなくて、「生かされてるだけですごいよね!なんか人間活動楽しんでるね!そっかそっか、そうだったわ、」というところに戻ってもwant toは出てくるし、それにこそ従って動きたいだよね、と。

“Trust yourself, and take care of you first, okay? Fill up your own cup and let them fall in love with the overflow.” というHarry Stylesの言葉を2023年のわたしはフリーペーパーに書いているのですが、fill up your own cupが「わたしは自分に認めて欲しかっただけ、自分にそこにいて欲しかっただけ」と共にやっと体感としてわかったような。良くも悪くも、fill up your own cupってどうするか具体的に知らずして、長いこと周りにfill upしてもらってきたり、自分でやってる自覚なくやってたりしてきたのかなと思います。その「認めてほしい」と思っていた対象の「自分」はたぶん、ずっと認めてくれていたし、そこにいてくれてたんだろうなとも思う。

202508292025.08.29

It’s been a week since I got home in Japan… はやい!とも、まだ1週間か〜とも、思える。片足をNewcastleに突っ込んだままのような気もします。迷っていても航空券が高くなるだけかな、と思って1月の便をすでに予約したからか。滞在するAirbnbも、文章から「こんな風になりたいな」と思うおばさま(おばあさま?)のところを確保。今回泊まっていたところよりは離れるけど、ちょろっと行ったエリアの近くではあるし、海までも徒歩+バスで30分ぐらいで行けそう。ふと「気が変わったらどうしよう!」と思ったけど宿は前日までキャンセル可能(懐が広い…)だし、航空券も変更はできる、と気持ちを落ち着かせる。

「認めるのやだなー」という自分もいるけど、今久々に自分に還ってきた感覚があります。自分以外のことに気を取られないというか、不安や不満がない。Rだけではなくて、Eと一緒にいる前以来の感覚かもしれない。し、まあなんか、その前と比べて「いい思い出できたよね〜」「自分のこと知れたよね〜」「恋愛はまたするんだろうな〜(楽しみ)」みたいな気持ちもあって、清々しい。パートナーとは…結婚とは…子供を産むとは…みたいなことは浮かんだりするものの、眉間に皺が寄っていたら緩ませたいです。

今は、何を感じようが思おうが、どんな感覚になろうが、完璧でしかない(よい・だめはない)/何が「できてる・できてない」「できる・できない」関係なくあんたは100点、という感覚を育てようと。もともと「こうあらねば」「これをせねば」という感覚からではなく、「やりたいからやってる」ことが多いとは思いますが、それでもまだまだ自分で自分を苦しくしていることはぼちぼちあって。その「やりたい」すら実は社会的価値観に基づいての「なんか良さそうだし!」とかだったりするし。ある程度の年齢まで自分の「やりたい・楽しい」と社会的価値観がそう遠くないものだったからかな。はあ。まあそれでもいいのですが、要は心がぎゅっとなったって、嫉妬心が出たって、自分が選んで(楽しんで)るんですけどね、という感覚を持っていたい=楽に楽しんで生きたいていう(あとそういう感覚になったときに「嫌だな〜」とか「そんなこと思ったらだめだよ」とか思うのをやめたい)。存在するだけで幸せだから何もやりませーん、ではなくて、そういう感覚を育てた上で、やりたいことやりたい。せっかくですから。

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ポーランド館@万博の。タロット的に5枚のうちから選んでランダムに作り上げてしまったけど、まあまあ「心象の緑」なんじゃないですかね。我慢強さはいらんけど、「マツ」だから良いやんとなる。

A Room Called Earth2025.08.20

というのは、今日本屋さんで見つけた本のタイトル。結局買わずだったのですがなんか気になった。

「月曜からずっと雨ですよ」みたいな天気予報に悲しくなったりもしたのですが、結局晴れ間の出る時間もあったりで、火曜日には虹も見られて、水曜日の今日も海まで散歩できて、うれしいありがたい。

あのお姉さんの服の組み合わせ素敵だな、って思ったり、カフェで赤ちゃんかわい〜と思ってたら斜め向かいのおばさんとにっこりできたりとか、別のお気に入りのカフェの前を通った時に、中のお客さんのおじいさんと微笑みあえたりとか、そういう一瞬一瞬sparkを感じられて。RにもMaitland〜Cessnock連れてってもらえて(途中、配達ドライバーやりながらやったんも楽しかった)。

数日前行って居心地いいなと思ったMomo Wholefoodというカフェで、帰り際にどれだけこの街が気に入ったかを伝えた店員さんが、日本語勉強してて来年日本に旅行しに来るって聞いたときには、面白いことが起こりすぎてびっくり。これまでもじんわりとしたつながりをニューカッスルともてたかなと思ってたけど、うれしいサプライズすぎる。ナンパおばさん発動して連絡先渡しましたよもちろん(既視感)。最速でまた来れるとしたら夏(日本の冬)やけど、もっとごった返すんかな〜。。と思ってたのも、「でも全然シドニーとかほどじゃないよ!」って言ってくれて、え、じゃあ来ようかなってなったり。

ほんとに大して旅行だー!アドベンチャーだー!みたいなことはやってないけど、海でも眺めて、カフェに身を沈めて頭と心に空間を作るか、ということができて良かったです。自分自身はビーチピープルだとは全く思ってないのですが、歩いて海まで出られるというのはよいね。史上最高にちょうどいい街に出会わせてくれた今年の流れに感謝しつつ、少しずつ帰路に気持ちを向けます。

IMG_5913あなたほんとにかわいかったね〜  11歳のおじちゃんなんだけどねえ

The right amount of everything2025.08.17

ニューカッスルに来て6日目。毎日歩いて、海を眺めて、カフェに行って、スーパーやお店をチェックして、と思い描いていたように過ごしています。ちょこっとお店の人とおしゃべりできたりも楽しい。最高級の褒め言葉として「ちょうどいい」を送りたい。そんなに世界中渡り歩いたわけではまったくないけれど、今まで滞在した場所の中で the most ちょうどいい。ちょっとsteepな坂道が多いのだけど、足腰鍛わるよね(地元の人は車移動が多そうですが)。歩いて or バスや電車で行ける範囲で満足しているのもあって、車の運転は未だ勇気出ず。ほぼフルキッチン装備だけど、今回は初めてだし、色々カフェにも行きたい、となるので本格的な料理はせず。でもシンク・包丁・カトラリー・食器類はフルーツとか野菜とか食べられるので助かる。

もう少し長く滞在できたりしたらな〜!と、もちろん思うけど、「どうやって」はちょっと棚上げ。勝手に、日本の知り合いたちの商品とか並べてお店できたら素敵ね〜と妄想する。

こうやって過ごしていると、ふと「へんなの」と思う。もちろん、ダーツの矢を放ってここに来たわけではないので、きっかけはあるし、自分で準備もして泊まるところも選んだけど、記憶の前後が消えたみたいに「何でここにいるんやっけ」とおかしくなる(前回も書いたっけこれ)。家族も友人も日本のことも遠くなって、自分の輪郭がぼや〜〜っとします。

旅先で読むのにちょうどいい感じ、と持ってきた文庫本にも一切手をつけず…やっぱりこちらにimmerseしたくなるので、ひたすらオーストラリアの番組やドラマを見る。アメリカやイギリスのだと70~80%は分かるのだけど、オーストラリアのは50~60%だな、と思う。

難癖をつけるなら、カフェが大体14時とかで閉まること(朝は6時、7時からやってたりする)、飲み物+トーストでも食べようものなら1500円以上すること。ただ、卵+トースト+αだけでも2食分ぐらいの満足度なのですが(そうなると2000円超える)。今朝行ったカフェでも、みんなよく食べれるな〜と思ってたら、半分以上残して帰られたりもしていて、なるほど…となったのでした。前はお隣の老夫婦が「二人で分けるわ」と言うていて、それぐらいがちょうどいいよね〜と思っておりました。

これはオレゴンにいた時に近い、帰ったら日本の緑の少なさにがっかりするやつかな。それにまだめちゃくちゃ暑そうだな…

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From Newcastle, NSW2025.08.14

ニューカッスル3日目。メルボルンやめてゆっくり滞在することにしてよかったな〜と思う。お天気も、ちょっと今日は風強めの曇天だけど、一昨日も昨日もほぼずっと晴れでうれしい。

旅ってちいさな「できた」がいっぱいあるのもいいんだろうなと思います。いや、旅以外でも本当はあるんだけど、気づきやすいというか。今日も思えば「できた」だらけです。英語の受け答えがしどろもどろになる(通じない、とかではないけど、もっとスマートにとか、もっと豊かにできたよなー!くー!みたいな)のを少し改善したいです…まあ相手は何ら気にしてないと思うけど。みんな理解しようとしてくれるし、基本姿勢が親切な気がします。冷たくない。良い鏡にしたい。

写真や言葉にして残しきれないちいさな出来事もたくさんある。今回はなんせ無理しない、ぼんやりする、ゆっくりするがテーマなので、ほとんど自分のことをグッと話したり、何か爪痕を残そうとか、繋がりをつくろうとかしてないのですが、アパートメントでランドリーに行く時に同じくランドリーに行く人と鉢合わせた、とか、スーパーのセルフレジで現金払いの前の人が「カードやったら空いてますよ」と教えてくれた、とか。

カフェが朝早くから開いているのはいいのだけど、14時とか15時で閉まるところがざらなので、必然的に早めに帰宅してしまうのだけども。夜のお散歩と、どっかで星が見られたらいいなーとは思っています。

まだまだ勝手がわからんところもありますが、全然住み心地のちょうど良い街な気がする〜。住むためには、、!となるところですが、今も住んでるようなもんやーんと味わうことにします。

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歩いて30分でこの景色はいいよね…

Prep2025.08.03

そうこうしていたら出発まで10日を切っている!数日前から、払い戻し不可の航空券を買ったくせに、メルボルンへの移動が億劫になって、ニューカッスルだけの滞在にしてシドニーから帰る便を模索していました。(そして現時点でのベストな方法に辿り着いた!)

旅を決めた時は、ニューカッスルよくわからんし…メルボルンは「好きそう」って言われるし、むしろメルボルンへのワクワクが勝っていたのに、調べる過程で、ニューカッスルがなんだかちょうど良さそうで…歩いてビーチ行けて、カフェも色々あって、ちょっと郊外も行けそうで、ジッピーにそそのかされて「え!なんかもう住みたい」と宣うたわたし。あとは実質2.5日の滞在のために荷物を持って飛行機移動して、そこからまたバスで市内に行って、、みたいな行程と「寒そう…」「コーヒーやカフェといえば!みたいなとこあるけど、わああここ行きたいみたいなのないな…ニューカッスルでも美味しいコーヒー屋さんありそうやしな…」などとメルボルンに対するワクワクが釣り合わなくなってきたようです。

今までのわたしだったら、「でも決めたしな」とか「払ったしな」とかもあってメルボルンを楽しむ方向に気持ちを向けたと思うのですが、ここのところ「現時点」のワクワクや心地よさや気持ちが楽な方向に抗えない傾向。メルボルンに行くって決めた時はそれが一番ワクワクしたんだよ。仕方ない。でも今の私は、海辺行ったりぼんやりしたり何か書いたりお散歩exploreして過ごすことをできるだけ長くできたら幸せ〜となっているのだよ。

Come to think of it, これまでも「先に予定を立てておく」のは「やらねばならぬこと」をいかに自動化させて、やりたいことをやる自由時間をいかに増やすか、のために(多分小学生の頃ぐらいから)やっていたのですよね。。ただ、「ねばならぬ」は本当はないのかもな、と最近は思います。いずれにせよ!今回の旅行は完全に自分の楽しみのために行くのだから、その時の「こうしたい」に従うしかない。それが答えだ。

自らの「気が変わった…」に「え〜〜」とならないこともないのですが、じゃあその時それを叶えるためにできることを、自分のためにやるのは気持ち良いかもしれない。自分の「気が変わった」に柔軟に対応できるプランにしておくのも大事だな…と払い戻し不可の航空券に対しては思いますが笑 それを乗り越えてでも「こっちの方がいいんだね」というプランに変えてあげる(自分が自分に、、)ことで、より嬉しかったりもする(もちろん破滅しない範囲で)。自分の「今どうしたい?」を大事にしていきたい気分です。

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The other day, A-san told me how I am openly talking about my private stuff on a public platform (i.e. here), which had interested her. It is actually a public space and made me think why I’m writing about myself or my thoughts here, not just on a private notebook. I’m not gonna say I’m not conscious of reader’s eyes (as I’m writing like I’m talking to others), but it is to put my thoughts out or to organize them by writing, I guess, and it’s more like talking to myself…? Also, it helps me to see myself a bit objectively. Or part of me wants to record my thoughts for my future-self.

なんでしょうね、「誰かに向けて」というよりも、公開壁打ちみたいな感じか。どう受け取るかはその人の自由。

202507102025.07.10

In-person class in the morning. She cares about how I’m doing and checked in about what’s going on with him, so I shared what I figured out. I might have talked too enthusiastically.. The point is, I noticed that I’ve been regarding myself as unworthy of what I want, without any “realistic” compromise. And I decided that from now on, I deserve what I purely, innocently desire.

そのあと、常本さんの展示へ。何年かぶりにお会いしてもわいわいお話しできてうれしい。木葉さん、岩瀬さんともバッタリ会えて幸せ。岩瀬さんとはいわゆる今の「推し」の話で盛り上がってよく笑った。

少し前に、自分はなんで作家さん・画家さんやお店をしている人・ものを作っている人に惹かれるのか、尊敬するのか考えたタイミングがあって、やっぱり好きなこと・興味のあること・惹かれること・自分がおもしろいと思うこと・何かやってしまうことをしているからかなあと思ったのでした。みんないつまでもキラキラしてるし。

Speaking of 推し. At one point today, I came up with an idea of considering Jason Momoa as my guardian, which made me feel safe and energized. It’s working.

202507092025.07.09

Writing things soothes me. Without caring too much, so it might not be boring or confusing for anyone who reads it. I’m trying to concentrate on taking care of myself, which I think is the sole thing that we actually should do. “Taking care” doesn’t mean doing something special, but trying to listen to yourself a bit more carefully, do little things that make you happier, and concentrate on what’s in front of you.

英語が喋れたらいいなあ〜!という人はもれなくできるようになると思う。自分で自分のことを「喋れる」認定する(わたしはできると決める)かどうかなのだけど、そこが人によってどのタイミングになるか、というのが一つのポイントな気がします。え、でもでもとか、いやいや、できませんから、ってなる気持ちもわかる。だって実際さ、って言いたくなる気持ちもわかる。でも、そこはあんまりというか全然見る必要がない点だったりする。それが「根拠のない自信持ってください」「自己暗示ですから」って言う理由。ほんで、気が向くこと(英語と直接関係なくても)をなんでもやればいいのです。

It applies to everything. I feel like the same thing has happened for my career and how I got to know with wonderful people around me. Sometimes I tried to connect with them, but oftentimes it just happened. I sometimes look around and think, why am I this close to this person?!, feeling kind of surreal. And I believe everything is happening for you whether you believe it or not. I thought we need to change our belief to make it happen, but actually it IS happening, and, to see it, we need to change our belief, I guess. That’s not always easy, though! (You can say this is my belief, too)

どんな世界を信じるか、なんだってさ!

7 years2025.07.07

I heard that today the Uranus moved from Taurus to Gemini. It stayed in Taurus about 7 years and it is an end of a journey and a start of the next. The Uranus is said that it brings revolutions. I wondered how was my journey throughout these 7 years, and took a look of my diary entries in 2018.

ほんの数ヶ月分読んだだけですが、7年前のわたしは時折悩んだり憤ったりしつつ輝いておったな〜と、真剣に生きているな〜と言う印象でした。It feels a bit wired to say, but I’m very proud of myself back then. レッスンについての悶々とした感じは、7年後の今、結構クリアになったのではないかと感じます。自分がどうしたいか、に沿って変化させてこれたと。

2018年は地震や台風やが大変であったような。その年の5月ごろには実家に戻ることもmentionされているけど、秋にスッと決められたのを覚えています。11月に7年ぶりに実家に戻った、そんな年でした。その後、母も戻ってきたり、おじいちゃんが亡くなったり、妹が去年戻ってきたりして。今書いていて、戻ってきたのも7年ぶりだったのかと思うと、やっぱり今年〜来年はまた次のステージなのかもしれません。

Compared to 7 years ago, the view I’m seeing has changed, with more experiences. They weren’t all happy things, but looking back, I’m thankful that I was able to experience those. I’ve become emotionally open, and cry more often (which I think is good btw). Right now, I’m still in the middle of an emotional challenge, but I know I’ll be able to grow out of it.

関わる人たちの変遷もあったりするけど、素晴らしい人たちと関わらせてもらってありがたいなと言う気持ちはずっとあります。まだまだ、気づくこともたくさんあるけど、堂々巡りしてるようなきがすることもあるけど、一瞬一瞬大事に生きていきたいです。「じぶんはどうありたいのか」という内側をだいじに、外側を楽しんでいきたい。

今飲んでいるハーブティーのタグに、The purpose of life is to know yourself, love yourself, trust yourself and be yourself. とあって、いいこと言うなあと思った surrender modeの夜。次に天王星が移動するのは2033年5月12日って見て、誕生日!ヒョエ〜と面白がっています。