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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

Honest talk2019.04.27

Recently I tend to feel tired of seeing SNS especially on those “cool” events or people “connected” or… I don’t know, anything vocal. Anything that calls people in, or is “expressing” something. It’s too loud. Of course, what I need to do is just stop looking at them. Easy (but you know, I can’t get out of that habit). And of course I think it’s a great thing that everyone is enjoying what they love.

It is obvious that I go out less than I used to. I’m less interested in art shows or events. Anyway, I don’t have to. I’d say it’s a good thing. Maybe it’s time to shove off things and see what I’m really interested in. It’s a chance to see how things go if I do only what I feel like doing: read, write, eat healthy, sleep well, see beautiful things (nature, art), run errands, cook sometimes, meet people and talk, go places where I feel like going, make money by teaching (supporting) and translating. It’s exactly what I’ve wanted as my life, and now I’m here, just don’t get numb, be open-hearted, think well, feel well.

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Nothing more, nothing less.

Adjustment2019.04.24

明日のレッスンの準備と、6月に向けた翻訳をチェックに回した後、冬物をクリーニングに出そうと出かけたけど、誕生日月の方が割引率が高かったのでそのまま持って帰る(あと1週間だし)。前から頭の片隅にあった「図書館のカードを作り直す」というタスクをこなす(「紛失」扱いで50円かかった)。図書館、随分棚がすっきりしたイメージ。随分いろんな本があるもんだなあと棚を一通り眺めていたら、あっという間に小一時間経っていました。村上春樹さんの物語はそこまで読んだことないけど、エッセイが好きです。落ち着く。

昨日敦子さんと話していて、そうだよなあと思ったことを今朝小沢健二もツイッターで言っていてもう一度そうだよなあと思いました。「やり方」は1億通り以上あるのに、人は「正しい1つ」を求めてしまう、というような。語学学習にかかわらず、「根幹」「あらゆるものに通づる何か」「あらゆるものを解決する何か」に惹かれる。まだまだうまく言えないけど「各々のことをちゃんとする」が結局それに通じるのかな(自戒)。まあ、何かヒントのようなものを得て、それを自分の身体感覚にする、ことの繰り返し。

とはいえ、わたしの中で「E(えいご)S(しゃべれ)S(そう)という気持ち」ということはやや「万人の根っこに効く感」がある。そういう根っこと子葉を行ったり来たりし続けるのか。

先日勝手にフォローしているMEMEME晴さんの投稿がなかなかに芯に響いたので抜粋して残しておきます。これは、4年前に美保さんから言われた「やらずに居られないことをやればいい」と同じ響き方。curiosityに従って、動く。

『昨日、オークランド在住のアーティストの方が店に来てくれたんですが、彼女の様子をみていると本当にアーティストなんだなと妙に納得したと共に学びもありました。勝手にシェアしたいと思います。

僕は日頃から僕ら一人ひとりがアーティスト的存在になれる資質を内在していると考えています。

このポテンシャルを開花させる方法を考えることが目下の関心の1つです。

そして昨日彼女を見ていて気づいたこと、それは多動だということ。

実際に動き回るだけではなく、何かを発したり、調べたり、書いたり、とにかく止まらない。

まさに子供のように。

僕たちは、落ち着いていることや冷静でいることが、大人としての振る舞いの手本のように教わってきたせいか、自信のなさを落ち着きでカバーしたり、気持ちのなさを知識で補ったりしてしまう。

でも本当は落ち着きなく多動になってしまう対象こそが自分の才能であり、その存在を他とは違う特別な存在にしてくれる。

だからスカしている場合ではない。
常識という架空の恐れをはらいのけて素直になる以外に新しい自分も、新しい時代も訪れない。

豊かさとは多動。』

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By the way, my mom came back to our home. More people and a lot of things (again), but it feels stable and mentally healthy. The life living with family brings my less-selfish mind back. This year, we share my birthday and mother’s day. The happiest thing for both of us.

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注文した久嶋さんのジャムセット。うふふ

Why do we learn languages2019.04.15

外国語は「ダウンロード」して使えるようになる、という話が色々と問題提起してくれました(自分の中で)。

まず、「英語のレッスン」「翻訳」を仕事にする者として、それは「アリ」だと思う。あり得る気はとてもします。でもこの悲しい気持ちはなんだ、と考えました。

前にも書いたけど、「つまんないなあ」と思っちゃうんです、たぶん。

仮に、全ては私たちの意識が作り出していることだとして、anything is possible だとすると「外国語」もそれを「学ぶこと」「習得すること」もなくなる。そうなったらそれはそれでいいんだけど、この「ああ、英語ではこういう表現があるんだ」とか「そういう仕組みか!」と気づくこととか「心地の良い音」とか楽しみが奪われる気がして悲しいのかな。

「使えるように」なることを目的にしてないのかもしれない。それは、わりとどっちでもいいのかな。おまけというか、ついてきたものというか。もちろん、それでよりコミュニケーションが取れるからツールとしての役割もあるのですが。外国語を習得することが差し迫った状況でないところに住んでいるから言えるのだろうけど。

もちろん、私もうまく英語で話せなくて「全然ダメだなあ」と思うことはありますが、そこで「なにくそ」と思うのが一番の動機じゃないんです(どうも私はこの「なにくそ」精神が求められるのが嫌いです。I HATE it!)。例えば、エンジニアの人が機械を見て「へえ、こうなってるんだ」とか「美しいなあ」とか思うこと、自分でもその知識や技術を利用して何か作ったり、模倣してみたり、別の機械を見て仕組みがわかったり、仕組みがわかるから修理してあげたり、教えたりすることができる。でも、もっと美しく、もっと機能的にできる気もするなあ、と思いながらだったりする。そういうことをやってるのが楽しいから、「そんなのすっ飛ばしてダウンロードすればいいのに」と言われると「え!楽しい部分なくなるじゃない」と思って悲しい。つまらない。まあ、私を悲しませるためじゃなくて、英語の習得にウンウン唸っている人が多いから、しんどいことはやめたらいいんですよ、という「朗報!」なんだと思いますが。

わたしたちは、自分が「できない」と思ってるからできないことが多い。そこをちょっと崩して、想像力をはたらかせて英語に触れてもらうことは、「ダウンロード」できるようになることとそう遠くない気もする。昨日は星ヶ丘でのESSで、新谷さんのお孫さん(11歳、インド在住)が描いた英語の詩をみんなと読んだけど、皆さん「日本語にする」んじゃなくて想像できていてとってもよかったし、そういうことかな?むん。。。

しかし「想像できれば実現できる」とはうまく言ったもので…「できない」と思ってることって想像もうまくできないんだな。否定的な方向に簡単に攫われてしまったり。想像力を豊かにすること、美しい世界を思い描くことは、たくさんのいいことにつながってる気がします。

前に「いいな」と思った柴田元幸さんの言葉、探してきました。
「考えに考えて自分で補ってぴったりの訳語が湧いてくる(中略)それ語学を学ぶ一番いい学び方だと思う。辞書から覚えるのではなく文脈から悟る」(coyote vol.48)

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いちごと豆腐のティラミスが食べたくて〜