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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

Youの世界2019.11.25

先日レッスンで「Youは「あなた」と「あなたたち」両方なんですよね〜 演説とか」と私は単に当然のこと、と説明したら、Kさんの気づきが面白かったのです。

英語圏で「個」の感覚が強いのはそれでか、と。言葉か感覚か、vice versaだろうけど、「多(あなたたち)」に対して語りかけても「個(あなた)」に言葉は向かってくるのだ。「語り手は私に語りかけている、これは私のことだ」って思うわけです(かね?)。その人のとりようでは、そのyouは「多」だろ、って拡散してしまうかもしれないけど、個人的にはyouと言われたら指されている気がするなあ。だからかな、歌や演説が刺さる気がするのは。もしくは、「多」だとしても、「個」の集合体としての「多」みたいな。

対して日本語は、どっちかしか言えない。もしくは、どっちも言わない。「みなさん」とか。「あなたたち」「みなさん」では自分は大きなものの一部、普段の会話であまり使わないからか「あなた」と言われても「へ?わたし?」という感じ。今朝ラジオで小耳に挟んだこのにも少しつながった。イギリス出身の作家Pico Iyerが日本の電車の車内で、ひとに寄りかかってうつらうつらする人、それを受け入れる人について好意的に描写していたのでした。

どちらが良い悪い、じゃなくてどちらも良かったり悪かったりですが、youのない世界で生まれ育つ感覚を持っているのだ、とちょっと自覚すると面白いかもしれませんな。

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昨日はゆーこさん、仙人のお家にお邪魔して、二人とうめださん、わこちん、みさおさんとで、ESS beyerチームで作り始めたフリーペーパー「ESS mag」のvol.2の折り作業。文章を書いたのが2015年なので時空を超えたものが出来上がりました。みさおさんが編集・進行、仙人がデザイン〜入稿。わたしは英文のチェックもしくは英訳なんだけど、チェックの方は「翻訳」にならないようにした(つもり)…消し忘れとか文の配置とか「しまった」が時々あるのでpaid jobじゃなくても抜かりなくやらねば、と反省。

とは言え、お蔵入りかと思われたものが、みさおさん主導のおかげで歩みを進められてうれしいし(わたしはこういうの、マジで主導できない)、皆で久々に集まって、仙人ごはんを食べて、クリスマス王子の選曲した歌を聴きながらの作業、楽しかった。その後紅葉進む裏山に登っておやつなど、ゆるやかながら充実した日曜日、良かったな。

積み重なった「いま」の一つに過ぎないのかもしれないけど、2013年にbeyerでESSをすることになったのは大きな転換点だと思うので、声をかけてくれたうめださんにも、朝早くから参加してくれていたみなさんにも大きな感謝でいっぱいなのです。

New & Old2019.11.17

とある人の文章を読んでいて、結局世の中自分が見ているようにしか見えない、というような言葉に救われた最近。自分の中の「善い悪い」は、自分がつくりあげたものさしで測っているだけで、境遇の善い悪いも解釈次第だ、と思えば、気持ちが乱れた時も落ち着きやすい気がします。などと書くと気持ちが特に乱れていたのかと思われるかもしれませんが、乱れ具合は普通です。

あと、色々見えない部分を勝手に想像するのも控えようと思いました。行間を読む、というのも大事だけど、そわそわしたり不安になるようなストーリーで空白を埋めても仕方がないのですよね。やっぱり気持ちが沈んだり苦しくなっている時って、自分でそうなるように考えていたりします。

なんの have to にも縛られることなく、より機嫌よくなるように生きてください、というメッセージも毎日唱えたい。

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2月に豊中市である_act_の展示に向けて、集まったりするわけですが、出会ってから6年目を迎えて、かたちや心境、それぞれの状況、変わったり変わらなかったり、だんだん不思議な集まりになってる気もして良い。ご本人は覚えているのかどうかわからないのですが「細胞は隣の細胞のはたらきで自分の役割がわかる」というようなことを出会った当初に話していた林さんのことばが折に触れて思いだされます。

ぼんやりしたビジョンですが、誰の文章だったか、これもスクリーンショットに撮った言葉を借りれば「人に手を握ってもらって安心する」ようなことができればいいな。それを形にしてうまく見せるのは難しいかもしれませんが、_act_の存在自体がそれを伝えられる可能性はあるのかなと思います。

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この週末は、高校時代の友人L, Rと奈良で1泊。わたしは車で1時間かからないようなところへの旅、になったわけですが、泊まるからこそできる、今までやってみたかったことや行きたかった場所へ行くなどできて最高でした…

宿泊した「紀寺の家」、額面は安くないかもしれないけど、古いお家のいいところを残して、さらに伸ばして、内装や備品の一つ一つから感じる心地よさ+町家で住むことの可能性を体感できる素晴らしい宿。。みんなして「住みたい…」を何回言うたことか。

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最近また「明日死んでしまったら、伝えられずで後悔するかも」という気持ちがたまに出て来て、ネガティブなようですが、このおかげで色々と勇気が出たりするので助かります。でも破壊も厭わないド直球を投げてしまうので注意が必要。

Lives of others2019.11.04

わたしは、自然や他の生き物の命の側に生きる人たちに対するコンプレックスがあるなあ、と、昨日のマリアーネさんのトークを聞いていて感じるなど。百会に行く前、EDANEの展示で会った野原さんも自然のそばに住む人だった。

でも同時に、他の命を受け取りながら生きるのに山奥である必要はないのだ、というのもトークから受け取ったこと。「(街は)気を引かれるものが多いから」というマリアーネさんの言葉はもっともで、目を向ける時間が少ないのだ。だから日々を普通に送っていると鈍感になるのは当然かもしれない。虫とかほんとに苦手だし、ほんとうの自然はこんなぼーっとした頭じゃ生き抜けない。いくらでも人間に都合よくは生きられるけど、与えてくれたり、癒してくれたり、生かしてくれている命への感謝は忘れずに、少しずつお近づきになりたいです。

他の命といえば、人間同士もそうで、やっぱり目を向けてないと鈍化する。言葉に出されなくても目を配って動ける心がけ。でもそれは、気を使って、自分の何かを削ることじゃなくて、自分の何かも増えることだと思います。

あと最近思い至ったのは、「怖いもの・不快なことからは逃げる」習性で恋愛方面こんなことになってるということ。まー、安全なところから出ない。ちょっと気持ちがあっても相手の気持ちが大きいと、安心なところまで下がる。そらこうなるわけだ、と落ち込む。結論を出さずに何となく一緒に出かけたりする人への気持ちは長続きしたのもそうだ…わたしマジ時間かかる。安心感第一。。(ためいき)

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ほどほどの距離に良い場所。ピクニック仲間求む。