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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

Diary: June 27-28, 20202020.06.28

I tend to write my thoughts here and that feels a bit heavy, I guess. I just wanted to write a plain diary, so I do.

土曜は母をおともに午前中から奈良の蔦屋書店、そしてから空櫁さんへ「マティスの食卓」。有永さんのガラス、二川さんの陶器、空櫁さんの場所が引き立てているのもあるけど、ため息の美しさ。素直にいくつか選んで帰る。わたしにとって、場所でも作品でも食べ物でもこういう空気は真ん中にある。ごちゃごちゃしたカオスみたいなのが人間だ、というも頷けるし、それが救いになることもあるけど、こういうスッと落としてくれるもの、凪を与えてくれるもの。少しだけ原生林を散歩して、somiさんでお菓子を買って帰途。

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こんなのが徒歩圏内の高畑は最高やけど、やっぱりお高いようで。

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日曜は大阪へ。6月は週に1〜2日電車に乗って県外へ行っていて、今週はもう1回ぐらい出るか、と思っていたので、ふみさんがモハキハを久々に開けるというタイミングで行くことに。なかなかに盛況の合間を縫って少しおしゃべり、ふたばちゃんも照れはあるけど、会うたびにしっかりしてきているねえ。ばったり warble / 22 さんが来て、うれしさ募ってその後寄ることにする(徒歩2分。こういうのは都会のいいところやねえ)。実に4年ぐらい行っていなかった(衝撃)、のに覚えてくれていて嬉しい限り。

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そのあとは、谷四に住む高校時代の友人が空いていれば、誘ってmoto coffeeの内本町店行ってみたいな、と思っていたけど、あいにく鎌倉に住むお姉さまのところへ行っているとのこと。 一人で行っても良かったけど、ふと思い立って青星さんへ。こちらも客足とだえず盛況。初めて1階のカウンター席へ。いつもは2階で静かに過ごしているけど、お二人と時々喋りながらも楽しかったな。

こんなふうに出かけるとすぐ1万歩超えるのよね。わ〜い
これ以上暑くなると無理だけど。

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丘の上、窓のそとに広がる芝生と大きめの木、、小屋ほし〜い、と話していたら、母実家のほったらかしの斜面にある田んぼと納屋の話に。しかしタイニーハウスすら建てるお金ないからな、ローンも組めないしな、時間かかってもいいから誰か分割払い+DIYで建ててくれんかな…(白目)今の家からさらに車で30分田舎になるのと、下の方の道路がまあまあ交通量が多いのがどうかな、明日見に行ってみます。

After the spring whirl2020.06.25

I feel energy towards visiting places and seeing art is coming back. 気候のせいかな、晴れた比較的爽やかな風の吹く日は、意識が遠くへいく。また美しいとか心が動く思うものや景色を見て、人生を創ろう、という気持ちが湧いているように思います。

この春もりもり沸いた心理学欲のおかげで、レッスンに臨む気持ちの芯を改めて感じられました。その人が抱える不安を知って、自分のペースを作ってもらうこと。英語とその人の関係性を見つめたり、改めて作ってもらうこと。わたしも間違ってたり、片言だったり、知らなかったりすることはまだまだあるけど、いい関係で続けたいと思っているので…

民間のカウンセラー試験まで受けたところで、英語にまた学びの重心を戻しつつ、教える・ガイドする上でのことや、生きること、ジェンダーや人種 issue のことを考えるのに心理学・社会学的なのは本で勉強しよう〜という心持ちです。

As Yukiko-san (Komeday no.1) always says, “World peace starts from home”, I’ll start it from my heart. It doesn’t mean I’ll prioritize myself about everything, but I’ll follow my heart feeling happy and excited.

正直、またどっか行きたいとか思うのかな、何にも心惹かれないな、と思っていましたが、そういう気持ちもまた変化するもんだなと感心していますよ。義理とか責任とか「みんな言ってる・行ってる」からじゃなくて、惹かれるものに惹かれていきたいと改めて。

北海道のマオイの丘てとこにあるお宿からの風景がめちゃんこ響くんだけど、これ、非日常じゃなくて日常にほしいんです。かと言って、縁もゆかりもないところに行きたいわけじゃないので(会いたい人にはすぐ会いに行きたい)、奈良にないかな〜って…。そんな場所を見つけたら、時間がかかってもいいから創ろうかな、って気持ちです。

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自転車でも行ける距離に(5年前から)ブックカフェあった。チェーン店だし小規模だけども落ち着いた雰囲気で小さいオアシス〜。なぜか2階にいる気分。

The world without any frames or categories2020.06.13

We’re in the “Pride Month” and also think a lot about “systemic racism”. (Also “systematic racism”, too. I’ve confused these two until recently. Check out https://withoutbullshit.com/blog/systemic-vs-systematic-for-example-systemic-racism )

The other day, I got a chance to translate an article about protests, riots, lootings, and racism written by a black American writer. Of course it was an honor to join the team and great to get feedback from the finalized article ( “power” を「権力」と訳せなかったのはmajor mistakeだったけど、there were 32 more translators and an editing team, so thank goodness…), I thought that could’ve been better というか、やっぱりまだ読みにくいし、「声」を伝えるって難しいと改めて実感しました。33人+がやった「ゆらぎ」もあるのかなと思うけど。
(The Japanese translation of the article is here:
https://toyokeizai.net/articles/-/356071?utm_source=Twitter&utm_medium=social&utm_campaign=auto )

One of the things that I want to discuss is the meaning of “colorblind”. 原文に、”We don’t have a luxury of peaceful protests or sitting around praying for a peaceful world populated by the colorblind” とあるのですが、「〜ただじっと肌の色の関係ない平和な世界を願って祈り続けるなんて〜」と日本語訳ではなっています。わたしは何となくもうちょっとネガティブな意味もあるのでは、と思ったのですcolorblind。
colorblind

これが意図せんとするところなのかどうか、自信はないですが、このcolorblind現象はいろんなdiscriminationに現れる気がします。systemic racismとも繋がっていると思う。気づかないところで、あるグループが有利な社会になっていて、それが暗黙の了解というか、「普通」であることで、例えばアメリカで黒人の男性がどれだけいろんな場面で気を遣っているか、ということに気づかなかったりする。自分は人種的な差別意識もなくて、「みんな平等」だと思っていたとしても、自分にそういう心配がなければ本当の平等ではなく、それがcolorblindなんじゃなかろうか。ジェンダー然り、セクシュアリティー然り。

I feel that boundaries or categories are dissolving, which I think is very good, but it might be better to check if there are any benefits or harms to a certain group of people before we blindly go “we are equal”.
(特に今年は、色々な境界線やカテゴリーが溶解していく感じがしていて、それはすごくいいと思っているのですが、盲目的に「(わたしにとっては)みんな平等」と言う前に、いちど自分の住む社会は特定のグループに利益や不利益がないか考えるのが大事な気がします。)

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A book & magazine I got yesterday. ジェンダーのバイアスは小学校入学以前に培われていたりするらしい。そこから濃くするか薄くするか、大事ですね。大人になってから薄めるのは葛藤があるかもやけど、わたしはちょっとexcitingだと思います。

About Romantic & Sexual Orientation2020.06.02

Asexualityについて、どれぐらいの認知度があるのでしょうか。

わたしもどこで初めて見かけたんだか忘れたけど、まだ知って1年ぐらいかと思います。最近、心理学の本棚で「見えない性的指向 アセクシュアリティのすべて(原題 The Invisible Orientation – An Introduction to Asexuality)」という本を見かけました。これがまたかなり細かく性的・恋愛指向についてまとめられていて、最初にasexualityについて知ったときは「うーん、近い気もするけど?」ぐらいだったのが「あー、わたしはかなり asexual spectrum上にのってるじゃないの」と感じずにいられませんでした。

・他人に性的魅力を感じるかと恋愛感情を持つかというのは別
・性的興奮と性欲と性的に惹かれることは別
という説明が一番腑に落ちたかな。

まあでも、実に様々な指向があるもので、相手の性別はもちろん、「グレイエリア」や「デミ(感情的な繋がり・相手のことをよく知ってからならあり得る)」なども含めると、これはもう千差万別では?と思う。アセクシュアルな人は人口の約1%ということ。でもわざわざ言わないだけで、スペクトラム上に含まれる人は割といるような気もするんだけど、そんなことないのかな。

前に「The Half of It」の感想で LGBTQという区別はもはや不要なのでは、と言いました。割と昔から人の性的指向を聞いても、なんというか、「あんこがめっちゃ好き、お肉は生理的に無理」と言われたぐらいの受け止め方だった気がするのです。もちろん、その人が傷ついてきた可能性を考えたり、そのことを話すのは勇気がいっただろうなと思ったりはしましたが。

まだ道の途中ですが、わたしは「アセクシュアル」で「デミヘテロロマンティック」だというのが今の実感です。ラベルが細けえな、と思うところもあるけど「わたしはこうなんで!」と分かりやすいのは「やってみないとわからない」とか「シャイなだけ」「怖がりなだけ」とか「良さ」を押し付けられないようにするにはいいかな。『異性が好きだ、と自認する人に「同性愛の可能性」をこんなに推すことはないのと同じ』という説明にちょっと救われたり。ということで、感情的に繋がれる人はいたらいいなと思ってますのよ。これは、アセクシュアルの人じゃないとダメ、なんじゃなくて、惹かれてくれる人がいて、わたしも仲良くなりたいときに、どう伝えたらいいかがちょっと分かってよかったわという話。

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ああついに念願のオキーフさんのキャロットケーキ。ベストオブかもという勢い!

こんなことをつらつら考えていますが、翻訳がまあまあ忙しいぞ。ありがたいね。