Adjusting2019.02.12
大和高田でまた暮らし始めて実質的に約2ヶ月。
少しずつ探りながら生活を組み立てている感じです。
時折臭ってくる謎のドブ臭と父親のタバコ臭、それに彼の朝のトイレ占領時間のせいかお腹の調子が微妙なこと以外は概ね良好です…
(市内で)離れて暮らす母親と妹がデフォルトで人生に不満気なのがどうしたものか、と思ったり。自らの動きじゃないと良くないと思うので、わたしは陰ながら祈って、その動きを応援するしかないわけですが、せっかくの人生なのでもっと肯定できたらいいのになと思います。わたしは彼女たちが居てくれて幸せです、と伝えておきたいのだけど、それは色々とうまくいっているから悠長なことを言えるのだとか思われるのでしょうか。
割と幼い頃から「ああ〜 今日も暖かい部屋でテレビ見て美味しいご飯が食べられて幸せだなあ」と思っていた(たまに言っていた)のを記憶しているので、「幸せの沸点」は低いようにも思われるけど、実はこれ、それ以外のことにしんどさや辛さがない方が感じられるのかもしれません。そこを守るために、他を整える。意識的にしてきたというよりは、「いやだ!」と思うことからはまあまあ全速力で逃げるたちなので… それで迷惑もかけてきたけど、そんな私がそこに居たらもっと迷惑かけてたと思うので、それで良かったのだと思います。
「好きなものを仕事に」とかではなくて、仕事なり生活なりの環境を少しずつ(時には大きく)調整して自分を幸せにしていけたらね。わたし自身も、なんでこんなに、というぐらい周りの人たちの徳が高くて、時折甘んじてるのでは、とピリリとするので、なんとか自分も応えていけたらなと思います。ありがとうございますよ、、
秋〜冬に携わってきた翻訳が形になって届いてきました。Translationのページに少しずつ実績を載せております〜
あ、翻訳・語学学習と「想像すること」について「!」と思ったことがあったんだった。次回書きたい…
「!」と思った sewing table coffee。今月のESSの後で。