202501312025.01.31
まず、え!ってなるのが、借り始めた家をもう解約したこと(厳密には2月中)。信じられない。WTF, what am I doing? と自分でも思う(笑)で、また清々しい気持ちになっている。契約するまで、いや、住むまで何でわからんかな、と思うけど仕方ない。(敦子さんも「住んでみるまでが1ターンやったんや」的なことを言ってくれたが、そうとしか言えない)
借りるぞ、と決めた時や準備をしているときは、本当にやる気なのだ。が、いやいや、見やんようにしてた気持ちあるやろ?と言われたらそれもそう。やるって決めたらそっちだけ見て進めばいいのに、って思うけど、
1) 家を整えていく段階で「楽しさ<疲れ」になってしまっていた
2) 家の独特のにおいに毎回気分が沈んでいた(住んでるうちに変わる可能性は高かったけど、あらゆるものに染み付いてきていて耐えられなくなった)
3) 風邪ひいて実家で1週間療養した時の安心感・多幸感
が起こって見ないでおこうとしていた気持ちを見ざるを得なくなったのでした。
そもそも、やっぱりまだ「次に会うことがあったら『変わった私』でありたい」みたいな気持ちが根底にあったのです。『わたしの家』を作ってひとりで家事も仕事もこなして悠々と、『自立した女性』像になろうと(ドラマ見過ぎ(主にアメリカ))。どこかでずっと、実家住み、夕飯は99%作ってもらっている、などということにバツを出していました。ここで満足しているからいけない、「わたし100%」の家に招く人になるのだ、一人暮らし同士の方がやっぱりいいよね、実家暮らしにはパートナーなんてできない、って多分ずっと思っていました(ドラマ見過ぎ(略))。でも上に書いた流れで毎回新しい家に行くたびに鼓舞説得→疲弊してきて、風邪でダウンして心底安らいだのをきっかけに、こりゃダメだ、と気づいたのでした。
心底安らいで、極楽極楽〜言うてそれでよかったのに、「これではいけないのだ」「こんなことしていては…」と始めるのはそもそも自分の思考であって。これからはもう「ああ極楽〜」で止めるのです。“実家で極楽ゆきちゃん”を心底好いてくれる人がいるんです!って決めた直後に会えたあおいちゃんにも「まつしまさん自立してなかったことなんてないですよ。一人暮らししてても自立できてない人たくさんいますよ」って言われて。これができるようになったら、こういうわたしになったら、ってほんとにつまらない条件付けばかりしている。あ〜やめやめ!また自分に平謝りである。
人には「英語できない、って、そう思ってるのは誰ですか?(あんたやろ)」って言うくせにね。
厳密には、何が正解とかbetter wayとかがあるわけではなくて、思ってしまった(そう認識した)方向に進んだだけ、なんだと思う。ただ、幸せや自己評価のために、にんじんをぶら下げて自分を走らせていた自分に気づけたのは良かった。スキルアップや目標を持つことを否定するわけじゃなくて、それが(自分がでっち上げた)「不足」を満たすためになのか、やりたいからやっているのか、なのかなと思います。これからは、より「今この瞬間の極楽温泉」に戻って、その上で心に浮かぶことをやっていきたいです。
出先でパンを買うにしても、買って帰って分けられる人がいるのがわたしは嬉しいんだよなぁ、と昨日も京都で思っていました。見渡せば本当にhappy, peaceful, lovedという状態でしかなく、それをありがたがりながらまた目の前の日々のことに臨めるので、とってもうれしいです。部屋や家を片付けつつ、より心地よくしつつ、またちょこちょこ旅やお泊まりの日もつくって一人の時間も楽しんでいこう。と思ってたら高校時代の友達が福岡に転勤になったらしく、友達いないから遊びに来て!と言ってくれたので次の遠出は博多かな。他にも小さい(want) to do はあるので、それも。