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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

The White Lotus (spoiler alert ; ))2025.02.08

シーズン2を今日見終わって結局ハマっている。今日なんてカフェの仕事が雪でなくなったのをいいことに最後の2話一気に見てしまった。

引っ張られすぎることなく、こんなん見てるからドラマチックライフになるんや、と斜に構えることなく(とはいえそう言うことはあると思う)楽しめるようになったのがうれしい。

シーズン2の6話目でのポーシャとジャックの会話。
「その日その日を生きるだけや、明日が来るかなんか分からんしな」と言うジャックに対して「何もかも最悪やもんね(こんな世の中で何があるか分からんし、的な。引用すると The world is a fucked-up place. Literally everything is falling apart.)」と言うポーシャ。それにジャックは「は?」となる。その辺で殺し合いまくってた中世なんかに比べたら最高の世界やないか、と。

“What I’m saying is, right, we’re fucking lucky. You know what I mean? I’m living in the best time in history of the world, on the best fucking planet. If you can’t be satisfied living now, here, you never gonna be satisfied.”

「今ここで満足できないんやったら、一生満足なんかできへんで」
(少し前にポーシャは人生の目標を Be sastisfied(満足する)ことと言っている)
ほんまにそれな、と私は思ったわけですが。(ジャックの英語はクセになるが聞き取りが難しい)

結局のところジャックの生き方が全て肯定されるような描かれ方ではなかったと思うけど、ターニャの「冒険や刺激ばっかり求めてたらあかんで」と言う言葉と共に、ポーシャの心に残ったんじゃないかと思う。

もう一つは7話目のダフネのこのセリフ:

“You don’t have to know everything to love someone.”

お互いに疑心暗鬼になりすぎてしまっているハーパーとイーサン。ハーパーはイーサンが自分の不在時に娼婦と何かあったのではと疑いまくり、イーサンはハーパーがキャメロン(ダフネの夫、イーサンの学生時代の友人)と何かあったのではと疑いまくり。「本当のこと」が分からない(何があったのか全部知らないと不安)なイーサンに対して、ダフネが言った言葉でした。人が何を考えて何をしてるかなんて本当に知ることはできない、ずっと一緒にいる人でも全てはわからない。誰かを愛するのに全てを知る必要なんてない。

イーサンとハーパー(特にハーパー)から見て、ダフネとキャメロンは「ニュースもろくに見ない、享楽的でうわべはラブラブな仮面夫婦」なのですが、この言葉に集約されている気がします。この夫婦の在り方が良い、と言うわけではないけど(でもこの「何か不貞やら不満やらありそうなのにとっても満たされてるふうな夫婦」がハーパーは羨ましかったところもあったんじゃないかな)、「人生の被害者に自分がならないために」とするダフネのこの信条(?)は賢いなと思うのでした。不安にさせられるようなことや、悲劇のヒロインになってもおかしくないことがあっても、フッと軽く立ち回る彼女は、ちょっとかっこいいとさえ思います。

ターニャとポーシャのグレッグ陰謀論は思い込みが過ぎるだけ(そう思うからそう見える)では、と踏んだけどそれは外れた。厳密に言えば真相は闇なので、わからないけど。ターニャも蝶々夫人に共鳴しすぎるあまりそうなってしまった気もするし(元々何事もドラマティックにしがち)。

現実やニュースをガン見しまくって悲観的になるポーシャ、ハーパー&イーサンと、ニュースなんて操作されたもの、今を楽しまなくっちゃ、と楽観的なジャック、ダフネ&キャメロンの対比も面白かったです。

他の登場人物たちのストーリーも言いたいことはたくさんあるけど、結果全員が得たいものを得たのかもしれないな、ちゃんちゃん、って感じで、よくできてるなー!と思わざるを得ない。

シーズン3が2/17から配信開始とのこと。私の無料視聴期間が2/25まで。何が何でも見るぞ〜、と意気込んでいます。

I tend to cry easily these days2025.02.07

メルカリで売った最後のものを配送引き取りに来てもらうのを待っているところ。今日もとても寒い。ヒーター置いておいてよかった。18時までに来てくれるのか不安になる。(後記:来た。ほ)

henさんで251さんのパンを買う。ついでにお茶したかったけど満席。でもバッタリ東さんと会って、彼女は引っ越すことを知っていた数人なので自然といきさつを話す、とやっぱり泣いてしまう(笑)まあでも無理に隠さなくてよかった。京都にせよ郡山にせよ、「引っ越す」と話すときより「やめた」と話すときの方が前向きだからスッキリするんだけど。

その後K COFFEEにコーヒー豆を買いに。郡山の店舗と広陵の店舗の話が自分の部屋の経験と重なる(勝手に)。話の流れで森さんが「うまく行ってないって思ってるのは自分だけかもしれないですね。」って言っていたのに深くうなずく。初対面でえらい突っ込んだ話のような気もするが、森さんはとてもフラットな人なんだろうなと思う。やってみようってやってみた、それがいいんじゃないですかね、閉めるのも堂々と閉めたらいい。そう言えばよかったな〜と後で思った。

桜井のピザ屋さんBruno’s のインスタでベーグル売るよ!とお知らせしているのを見る。もう1年近く行っていない。初めて行ったのも、いつも行くのも2人でだったので、行きたくても行ったときに色々話すのがつらくてずっと行けていなかったのだ。お店のお2人にもよくしていただいていたし、年末のインスタの投稿には「来年も会えるの楽しみにしてるよ!」とコメントくださったので、ほんとに会いたかった。だからちょっと勇気がいったけど、私が誰かはわからないかな、とLINEで日本語で取り置きのお願いをする。数時間後、英語で返事が来た。I’m making ~ とあるのでスティーブンさんだ。英語で返ってきた時点で私だって分かってるなと半分ぐらい確信する。It’s been a long time. Happy to see you again. が沁みる。これで一人でもあのお二人に会いに行けるなって思うとうれしい。

そんなこんなで、今日も色々沁みたので帰りの車はずっと半泣きだった。全部自分の心が創り出してるだけなのになー!くそ〜と思うけど、泣きたい時は泣くしかない。まあその後は落ち込むというよりはすっきりするので。

そう言えば海遊館近くのカフェを教えてくれた彼はアメリカ(ラスベガス!)に帰ったらしい。住んでなかったか〜。また秋に来るつもりとのことだけど、まあ先だしな〜と思いつつ、なんだかんだメッセージは続いていて楽しいので、友達になれたらなれたで良いな。

ちささんからも仕事のことでLINEがあって、(今度こそ)オリエンタルシューズのスニーカーを買うのだ、も豆椿さんと同じく今月のリストにあって、ここ数日LINEしようと思っていたので小躍り。

携帯の待ち受けとホーム画面の写真を変えた。

昨日は何も書けなかったけど、書かなかったからと言っても書いた日と同じぐらいの、もしくはそれ以上の出来事はあるし、書いた日も書いた以上のことがあるんだっていつも思うから書いておく。

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SNSもあれだな、英語と一緒で気が向いたときだけ投稿すればいいんだね。

今日の生徒さんも、結婚してから単身ロンドンに留学中という素敵女子YouTubeに触発されて(他にも惹かれるところがたくさんありそうだった)、なんかちょっとより前のめりでよかった。私もそんなみなさんに触発されていたりする。

レッスン後、『A Real Pain』鑑賞。よかった。ホロコーストのことに留まらず、矛盾たくさんの人間臭さ。The White Lotus シーズン2のEthan役の人(日系イギリス人)が今度はイギリス英語で出てたのも楽しかった。結婚して子供がいて仕事をしていることと親の家に住んでいることがほんのり対比されていたのは「う〜ん」と思ったけど、前者は前者で社会的に「いいやん」とされているためにしんどいこともある、っぽい描き方もあった気がする。やっぱりアメリカの作品は精神不安な登場人物が多い気がする。日本の作品をほとんど見ていないので比較できるわけじゃないけど、まあ日本は日本でこういう登場人物多いよね、だから日本人もこういう人多いのかな、って言われるんだろう。

地元の映画館と違って結構席が埋まっていたので、持ち込んでお昼を食べるのには不適であった。I hope I didn’t annoy anyone, especially the guy in the two seats away.

マッチングアプリでメッセージした人が教えてくれた海遊館近くのカフェに行ってみる(その人とはそれ以上やり取りがないけど、なんかそういうのも楽しい)。ちょうど観覧車が見える窓際カウンター席に座れてハッピー(コンセントもある)。お店の人もフレンドリーで良い。図書館で借りた “Congraturations, by the way”というジョージ・ソーンダーズという作家さんからの卒業生に向けたスピーチを日英で本にしたものも読めてハッピー。邦題が『人生で大切なたったひとつのこと』なのは何でやねん、と思うけど、『ところで、卒業おめでとう』だと手に取る人が少なそうなので仕方ない。ただ、もう少し間を行くタイトルにできそうな気がするな〜。そういうのレッスンでするのも楽しいな〜などと思う。隣にどこかの国のソロ男性が座ったのもおもしろかった。おっ、と思ったけどにおいが好きじゃないな、というのと音出してスマホ見てたのと、聞き取れない独り言が多かったのでそれ以上何もなくてよかったんだと思う。

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今日は大阪泊。HafHで貯まっていたポイント安めで泊まれるのでOMO7に泊まってみる。広くて静か。楽天モバイルの電波がほぼ圏外だけど、wifiが問題なく繋がるのでよしとする。TVでベッドからNetflixなどが見られたら住んでしまうだろう(見られない)。I would live here if I could watch streaming services on a big screen from the bed. (仮定法だ、と思って英語にしてみたが、if I couldでいいのか少し自信がない。)給水するためにフロアをふんふん〜と歩きながらwanna-be rich bitch(とまでは言わんが)のaspectも堂々と認めよう、という気になった。

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阿倍野近鉄で電波が悪いのかバーコード決済の画面が出ず手こずっていた私に、「ここ電波悪いみたいで〜」とか「わたしもあります〜」とフォローしてくれた泉北堂パン屋さんのスタッフさんの温かみを思い出すなど。

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勢いづいていっぱい書いてしまった。しょうもないけど言いたいこと、書いて整理したいことが出せてよかったです。

今日は翻訳の最終版仕上げて、夕方のレッスンまでに久々に図書館。

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読めるかどうかは別にしてウロウロして手に取って読んでみたいと思ったのを持って帰っただけでも満足。なぜ選んだか、という理由はそれぞれにある。明日明後日の大阪滞在にどれを持って行くか考えるのが楽しい。

新しくレッスンをした方も、「苦手意識がある」とおっしゃっていたのでどうかな〜と思っていたけど、それを感じさせない楽しそうな感じで前のめりでよかった。ぐらぐらすることがあってもそのまま前だけを見て進めるサポートができたら(一輪車の練習みたいね)。

It seems like it’s gonna be cold for about a week. It got really cold today. I don’t like it, but thinking like it could be the last cold days before spring, I feel like I can enjoy the weather.

What I’m watching now2025.02.04

Netfilixで「HOT SPOT」見てたら「団地のふたり」が見てみたくなった(関係性はない)。が、NHKの番組なのでPrime Videoでもプラス900円(月額)を払わなければならず、他の選択肢としてU-NEXT(1ヶ月無料)が出てきたので1ヶ月だけNetflix止めて見るか!と入ったら、こっちでも1話ごとに220ポイントで買うか900円(月額)払うかだった。登録をしたことで600ポイントもらったので、ひとまず2話だけ見た。予想していた通り温泉(銭湯?)みたいな作品。

一方、せっかくU-NEXT入ったし、と何が見られるかチェック。前からうっすら気になっていた「The White Lotus」「Euphoria」「The Righteous Gemstones」、あと「ニューヨーカーの暮らし方」というドキュメンタリーをリストに入れて見ているのですが(「The Righteous ~」は食指が動かなくなったので1話でやめ)、やっぱりなんだ、「ほっこり」みたいな要素がメインの番組ってないのかしら。この中ではThe White Lotusがキャストや舞台の良さもあって一番楽しめてるけど、格差、皮肉、差別。ブラックユーモアなのね。chaoticでdramaticなのね。「Euphoria」に至っては、こんな高校って普通なん・・?そら病むよね?荒むよね?ドラマだけやでって誰か言って?という感じ。「ニューヨークの暮らし方」は邦題がちょっとmisguiding(原題は How To with John Wilson)ですが、飾り気のないドキュメンタリーでいいかも。

定期的に思うのが、「HOT SPOT」とか「団地のふたり」みたいな作品で英語圏のがない…ということ(悲)。私の中で近いのでいうとPatersonかな(最近見た「グランパは新米スパイ」はほっこり寄りかな…ドラマじゃないけど「ブリティッシュ・ベイクオフ」も良い)。逆に日本が平和ボケドラマなのかな?とも取れるけど、やっぱり摂取するものの影響は受けるわけで。私はちょいちょいほっこり100%でバランスとっているけど、アメリカドラマ100%で生きてきたらきっとその人の人生もそうなる気がする…お国柄とかもさ。影響され得ると分かった上で「これはドラマだけ」と割り切って楽しんで見る練習なのかもしれない。。何を見るにしても。自分の心の平和がやっぱり第一だと思うのでね。

とはいえ、The White Lotus シーズン1の Alexandra Daddarioが何と同い年と知ってキラキラしたし、シーズン2では前から好きな俳優さんだなと思っていたHaley Lu Richardsonの感じがやっぱり好きだし、どうミックスするのか謎ですが、心のビジョンボードに貼りました。

 

 

Tips for learning English (slightly updated2025.02.04

英語が学びやすくなるためにはどうするのがいいのかしらあ〜?とは常に頭にあって

自分で「ESS♫(えいごしゃべれそう)」と思うといいよ、に集約されるのですが

前々回書いた「極楽〜」で止めとけばいいのに、という気づきから、そうそう英語も同じなんだよな…と思ったので、書いておきます。

楽しい、面白い、へえ〜!、なるほど…って思えていたらもうそれで良いのに、「いや、でも喋れてはないよな」「いつになったら」「また間違えた」「全然出てこない」「このやり方でいいのかな」と、なんというか**もやもや〜**と slows you downする声。こっちを聞きすぎるのがあれなんじゃないのかな?

楽しい、面白い、へえ〜!、なるほど…は、別にテキストを使った勉強でも、アプリでも、洋楽を聴くことでも、海外の雑誌や本や絵本やを見ることでも、映画や海外ドラマを見ることでも、なんでもよくって(私自身は↑のちゃんぽんです)。どれぐらいやるかも、多分ほんとは関係なくて。これぐらいやるぞ!って決めてそれをこなすことで「いい感じだぜ」と思えるならそれがいいし、私なんかも「勉強」してなくても「海外ドラマ見たら100点だから〜」って好きなことだけしてたりもしましたし。

「こうなりたい」というイメージを持つことは良いと思うのですが、それはそれでニヤニヤ、わくわくするぐらいにしておいて、あとは何なりと気が向くことをやればよろしい。比べて落ち込んだり疑ったりしてもいいけど、結局足を止めてしまうのってその行為じゃないのかな。「あ〜、なんか全然喋れんだわ今日、しゅ〜ん」と思うのは全然良くって、「さ、昨日のドラマの続き見るか」とか英語1文だけ読んで「これならわかるわ〜」と思うとか、なんせkeep moving your feet! ではないのかなと思うのです。間違っても「てへへ」でも良いんだよ。

わたしのレッスンもその「何か」の一つで、keep going forwardのお助けになれば何よりだし、あとはこういう「どうやったら “できる” ようになるか」という私なりの視点から声がかけられるかな、と思っています。

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SNSに何も載せる気がしない。ボソボソと書きたいことはあるのですが、インスタもXもちょっとinteractiveなんだよな…と思っていたらすみやさんが「ホーム(ページ)あるやんか〜(と気づいた)」というような話をしていて、そうなんだよ〜と思いました。何だかここが一番勝手気まま=ホームという感じではある。

日々発信し続けなくても、レッスン・翻訳・カフェの仕事があるのはとってもありがたいことで。今はその目の前のお仕事や人と生活に集中していたいと言いますか。今日も毎朝の通りDaily Chatの返信をして、Willが速攻で返してくれたチェックを元に翻訳の第二稿、それにCOCO COFFEEさんでパインペーパーを手にとってくれた方からレッスンのお申し込み。胸がいっぱいです。

パインペーパーもまた作りたいな〜と思っているので、まあ、そのうちに。

合間の時間に今日は10年ちょっと使ったベッドの解体。シングルベッドから卒業や!と去年の6月に一瞬借りて強制退去になった部屋のために買ったダブルのマットレスを持ち帰って年末まで実家の自室で使い、年始に新しい家に持っていったは良いもののまた持ち帰ることになり。その間に実家の部屋は「まあ時々帰ってきた時にすぐ寝れるようにしとこ」と、13年半前に大阪で一人暮らしを始めた時に、友達が泊まりに来る用に買ったシングルの布団や、母が一人暮らしをしていたときにどこかのタイミングで買ったマットレスに入れ替えて、何だかそのちんまりした布団スタイルに落ち着いてしまった今。またダブルベッドでゆったり寝室にしたい気持ちはあるものの、なんせ4畳半の部屋。ここでオンラインレッスンもするし一人まったりしたりもするのでなあ。ベッドは無事解体、粗大ゴミ引き渡しの連絡も済み。すっきり。

ずっと豆椿さんの昼餉が食べたくて、なんか色々すっきりしたので今月行くぞ!と予定をやりくりして昨日予約伺いしたらことごとく埋まっていて、月の後半の予定がわかってから再チャレンジ、と思っていたのですが、6日空いているとお知らせされているのを見て、いや、その前に今朝ストレッチしている時に思い出したことが:

この間の土曜日、佐知子さんに新生活のことの顛末を話したら「それゆきちゃんのクセやな」と言われて。一人暮らしをしたらパートナーができる準備ができるぞ(しないとできない)、みたいにreadyの状態にまずしておく(しないと)「保険おばさん」と去年ぐらいから何度かご指摘いただいていたのです。何だったか忘れたけど他の何かでも同じようなことをしていたんだった。物心ついた時からそうなんだよな、良く言えば前段取りがちゃんとしてる、前の日の夜に次の日の準備はちゃんとしておく、みたいな早め早めにやって焦らない余裕。が、「〇〇ができてないからダメ」にも反映されていたのでした。10代から読みたい本やマンガや、買いたいCDなんかもテストが終わったら、とか何かとチェックポイントを通過したら与える、のをずっとやっていたな…という流れで

「あ!今度の豆椿さんも、借りてた部屋のものを片付けてすっきりした暁には、って思ってた…それちょっとやめてみん?6日だったら5日レッスンで大阪行くし、お泊まりまで達成できるくない?」で、めでたく予約できました。

件の土曜日、常連のやっちゃん(父親ぐらいの年齢)にもその話をした時に、「30代40代なんかまだまだこれからや」「悩むのもボケーっとしてるよりいい」「色々経験したらええんちゃう?」という言葉に加えて、人生色々よ、というエピソードを聞かせてもらって、まあ実際の言葉もそうなんだけど、重くならず励ましてくれてるエネルギーに半泣きになったのでした。そもそも開口一番「何かすっきりした顔してるな!」って言ってくれたのが話すきっかけでもあったのですが、それもうれしかった。みんなほんとにやさしい。

英語のことも書こうと思ってたけどずいぶん長くなったので、明日。

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まず、え!ってなるのが、借り始めた家をもう解約したこと(厳密には2月中)。信じられない。WTF, what am I doing? と自分でも思う(笑)で、また清々しい気持ちになっている。契約するまで、いや、住むまで何でわからんかな、と思うけど仕方ない。(敦子さんも「住んでみるまでが1ターンやったんや」的なことを言ってくれたが、そうとしか言えない)

借りるぞ、と決めた時や準備をしているときは、本当にやる気なのだ。が、いやいや、見やんようにしてた気持ちあるやろ?と言われたらそれもそう。やるって決めたらそっちだけ見て進めばいいのに、って思うけど、

1) 家を整えていく段階で「楽しさ<疲れ」になってしまっていた
2) 家の独特のにおいに毎回気分が沈んでいた(住んでるうちに変わる可能性は高かったけど、あらゆるものに染み付いてきていて耐えられなくなった)
3) 風邪ひいて実家で1週間療養した時の安心感・多幸感

が起こって見ないでおこうとしていた気持ちを見ざるを得なくなったのでした。

そもそも、やっぱりまだ「次に会うことがあったら『変わった私』でありたい」みたいな気持ちが根底にあったのです。『わたしの家』を作ってひとりで家事も仕事もこなして悠々と、『自立した女性』像になろうと(ドラマ見過ぎ(主にアメリカ))。どこかでずっと、実家住み、夕飯は99%作ってもらっている、などということにバツを出していました。ここで満足しているからいけない、「わたし100%」の家に招く人になるのだ、一人暮らし同士の方がやっぱりいいよね、実家暮らしにはパートナーなんてできない、って多分ずっと思っていました(ドラマ見過ぎ(略))。でも上に書いた流れで毎回新しい家に行くたびに鼓舞説得→疲弊してきて、風邪でダウンして心底安らいだのをきっかけに、こりゃダメだ、と気づいたのでした。

心底安らいで、極楽極楽〜言うてそれでよかったのに、「これではいけないのだ」「こんなことしていては…」と始めるのはそもそも自分の思考であって。これからはもう「ああ極楽〜」で止めるのです。“実家で極楽ゆきちゃん”を心底好いてくれる人がいるんです!って決めた直後に会えたあおいちゃんにも「まつしまさん自立してなかったことなんてないですよ。一人暮らししてても自立できてない人たくさんいますよ」って言われて。これができるようになったら、こういうわたしになったら、ってほんとにつまらない条件付けばかりしている。あ〜やめやめ!また自分に平謝りである。

人には「英語できない、って、そう思ってるのは誰ですか?(あんたやろ)」って言うくせにね。

厳密には、何が正解とかbetter wayとかがあるわけではなくて、思ってしまった(そう認識した)方向に進んだだけ、なんだと思う。ただ、幸せや自己評価のために、にんじんをぶら下げて自分を走らせていた自分に気づけたのは良かった。スキルアップや目標を持つことを否定するわけじゃなくて、それが(自分がでっち上げた)「不足」を満たすためになのか、やりたいからやっているのか、なのかなと思います。これからは、より「今この瞬間の極楽温泉」に戻って、その上で心に浮かぶことをやっていきたいです。

出先でパンを買うにしても、買って帰って分けられる人がいるのがわたしは嬉しいんだよなぁ、と昨日も京都で思っていました。見渡せば本当にhappy, peaceful, lovedという状態でしかなく、それをありがたがりながらまた目の前の日々のことに臨めるので、とってもうれしいです。部屋や家を片付けつつ、より心地よくしつつ、またちょこちょこ旅やお泊まりの日もつくって一人の時間も楽しんでいこう。と思ってたら高校時代の友達が福岡に転勤になったらしく、友達いないから遊びに来て!と言ってくれたので次の遠出は博多かな。他にも小さい(want) to do はあるので、それも。

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今年の元旦を思い起こすと、ついこの間のような気がするけど、その間にめちゃくちゃ色々なことがあったことを思い出しては、1年あったらなんでもできる、なんでも起こりうるな…となっています。

1年無事振り返られるぐらい心身ともに健康なこと、レッスンや翻訳、カフェでの仕事を好きでありながら続けられていることに感謝をしつつも、感情面ではhell of a year、えらい1年。その分、その側面において学びの多い1年でもありました。

・感情に良し悪しをつけない
いや、もちろん喜怒哀楽で言うところなら「喜」と「楽」がいい!って思うんだけど、「怒」や「哀」を感じた時に「そんなふうに感じたり思ったりしていてはいけない」「嫌だ」って思いすぎてたなーって。何を感じても「いいね!」なんだなって。

・思考の渦にのまれない
反応としての感情は100%出て、感じていいのだけど、そのあと過去未来から色々引っ張り出してずっともっと悲しく居られるんだな、そしてそれを自分一人頭の中でやってるんだな…と気づいたので。自分の未来への不安や過去の記憶からの思考が一番自分を苦しめてたりする。自分の心の中が一番safe spaceのはずが、逆に外は穏やかなのに内が荒れてることがあるんだな、など。

悲しくなったり怒ったりしても全然良くって、それでも結局万事うまくいっているのだ、と思います。「どうにかしなければ…!」って握り締めない、「問題」を創り上げない。

仲良しのパートナーがいるわたし、子がいるわたしと言う願望もぶち上げたけど、そうじゃなくても大丈夫なわたしももちろん居る。ここだけの話、彼の人生が進んでパートナーや子がいて幸せ(そしてわたしはどちらもない)というのがやっぱり一番恐ろしいのだな、と自覚はあって。実際そんなこたぁ私の人生にとってどうでもよかったりするんだが。「自分を見失わないで」とカフェ界の実家で言われて、その時は「だってこのどん底に悲しい私が自分ですけど?」と思ったけど、今はなんとなくわかる。あつこさんにかけてもらった言葉も宝。

改めて私は「生活」が好きで大事なんだよな、と思うので、焦らずマイ生活を大事にする年にしたいです。とりあえず1月中に新しい生活場所を整えよう!という気持ち。

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So… here I am, at the end of November.

ひとまず何よりも日々、ありがたいこと楽しいこと嬉しいこと美しいことに囲まれていることに感謝。楽しみなことも大小たくさんある。

とはいえ、毎日気持ちが超絶安定しています☆というわけではなく、やっぱり辛み、、悲しみ、、!と谷がくることは時折あるけど、なんかそういう時は「うえぇっ〜ん」と顔歪めてここぞとばかりにボロボロ泣けばスッキリしてちょっと方向を変えられたり。

前も書いたかもしれませんが、辛い状況にフォーカスして凝視してそこに留まろうと思えばできるし、ちょっと視線をずらせば幸せなことが山ほど目に入ってくるのです。なんで私はあえて辛い方ばっかり見ようとしてるんかな、こんなに良いことたくさん周りにあるのにね…って気づいたら、大丈夫な気がする。「だって!こんなこと言われたんやでムカー!」とか「こんなことがあったのに」とか「こうなったらどうするの」とか「この状況不幸よな、悲しいよな」とか記憶や憶測や色んなことひっつけて思考というか声というか、ぐるぐるしたものが出て引き止めようとするけど、その手を緩めてふわっと流せるように、少しずつなってきたように思います。あと、そう思ったことを責めない(「こんなこと考えてたらあかん、、!」とか)。そういうことを、今月も行った先々、出会った人々、たくさんの出来事から教えてもらいました。

先月末どういうこと言ってたか覚えてないのですが(読めば良いんだけど)、住むのが楽しみな街とお家が見つかって、借りるところまでやってきました。実際に動くのは年末以降ですが、慌てずぼちぼち準備したく。カフェでの仕事は今年の半分ほどになるので、周りのみなさんの何か力になりつつ生活していけたらな。

英語がここまでできるようになった過程は、歩み方の助けにもなっていて、「できない」に留まろうと思えば留まれたことなんていくらでもあったけど、できないと思ってしまうような出来事があっても、できないと思うような比較対象が居ても「気にしてなかった」のが良かったのかもなーと思ったりします。わー間違えた、できんかった、上には上がいるなあ、あかんなあ、とかは思ってもよくて、でもそこには留まらずになんとなく憧れのイメージを持ちつつ、好きなこと、目の前のこと、気が向くことをやるだけ。

という感じでその他のことも実践、歩みを進めてゆきましょう。まずは今年あと1ヶ月噛み締めて大切に〜〜

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また月初と心境が変わってしまって笑けてくる。一人暮らしの部屋を借りたいなあ、というところはあるのですが、「いや、やっぱりあたし奈良出やんでええやろ」と。なんであたしが出やなあかんねん、と。

彼から、もっと言うと「この自分」から物理的に離れたかった/「前に進んだ」「変わった」をやりたかったんや、と(分かってはいたけど)少し客観的に観察することができたのが大きな理由かなと思います。

で、「この自分」からはどこにいても何をしてても今すぐ離れられる、と体感的にわかってきたからかな。生徒さんたちや翻訳のクライアントさん、佐知子さんやお客さんたち、訪れるカフェなどで出会う人たち、家族、目の前にある美味しいもの、心地よいものに「向く」とそれができるのです。

まだね、「私はこんなに悲しい!辛い!」とか「こんなことになったらどうしよう、、!むりすぎる!終わりや!」とか出てこなくはないんです。しかしそれを燃料にすると、そっちを焚べちゃうんです。それがしんどい。だから秒でそこから立ち去るの。もちろん、悲しいっ泣きたい〜!ってなったら「わ〜ん」って泣くとスッキリするので、それは時々やるんですが、涙で消火。もう燃やさない。でもそうなる前にできるならその思いから即刻立ち去る。

広い意味で言うと、英語ができるようになった過程も似たようなもんで、ことあるごとに「わたしはダメだ!」ってなってたらここには居てなくて。適当にスルーして好きなようにやってたのと、他人の過程をあんまり気にしてなかったのと。なんなら今現在の「できる」だっていくらでも「できない」にしようと思えばできるので。

全て自分が出来事にどんな付箋を貼ってるかだ、ということ、”過去”の幸せを感じられたらそれは”今”ある、ということもちょっとずつ体感として分かってきた気がします。

大きなことでも些細なことでも、自分がぎゅっと握ってることほど「これをどうにかせねば幸せじゃない!」と思ったり「何か具体的に動かないと」と焦ったりするのですが、「握ってる手を緩めて、抱えているものをおろして、楽になる」をまずは。その心持ちで動いていきたいです。

It’s not about where you are, or what you do; it’s about how you are at this moment.

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10月。10月か〜 という感じ。

9月はポルトガルに行ったのですが、流石にそういうイベントがあると盛りだくさん感がありますね。ポルトガル、気候も食事も人も街並みもとても良かったのだけど、ああ、もうちょっと滞在したいな、また早く行きたいなという気持ちではない。

理由はたぶん大きく二つほどあって、一つ目は気候。私は多分晴れも美しいけど時々雨も降って緑がもりもり街中に溢れているのが好きなんだという気づき。二つ目は、ポルトガルに行っていたものの、目的がアメリカ人のホストファミリーに会うことだったので、半アメリカ半ポルトガルみたいな感じだったからかな。積極的に街の人と関わることをあまりしなかったのもある。ロンドンやオレゴンの方が自然と「また行く」と思ったのだ。ヘルシンキやニューヨークもそうだけど、ちょっと寂しさ(?)もあるぐらいが好きなのかもしれん。ノスタルジー。

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今の生活も人も大好きだけど、「わたくしの生活」もやりたいのと、違う街で暮らすというのにもわくわくするので、やっぱり動くかな。部屋探しが楽しかったのと気持ちが前のめりなのもあって、内覧とかし始めたけど、なんせ3ヶ月先の契約とか待ってくれないのと、私も見に行くことで方向性が定まってきたので、ひとまず休憩。また11月半ば以降に再開します。それまでは、好きなお店や場所に足を運んでイメージを膨らませたいと思います。

ともすると現実的に賃料は安い方が…など考えて住むところの落とし所を探ろうとしていたのですが、「気分が上がる+安心するかどうか」で街も部屋も決めるぞという決意。一生住むつもりでもないのだし、という気楽なマインドセットも思い出しつつ。

今のところ、京都市内か大阪市内の好きエリア(徒歩圏内に落ち着くカフェとスーパーと緑エリア複数)。防音性高くてお部屋の中身がきれい(清潔)・機能的、が大事という心持ち。

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この間、佐知子さんと「スキーマ」の話をして、何もかも受け取り方次第ということにまた結びつきました。幼児の言語習得の話から始まったのだけど(目にシャンプーが入った子供に「パチパチして」というと目じゃなくて手をパチパチした、とか、走り方のアドバイスとして「手を振って!」というと「バイバイ」する、とか)、大人になっても個々人の「スキーマ(人間が経験の積み重ねにより獲得する、外界を限られた情報から理解するための枠組み)」があるのだ、ということを皆が分かっているだけで世界平和につながる、というのは本当にそうだよなーと思う。同時に、自分のスキーマを超えて都合よく、気楽に受け取っていけばいいのだとも。

なんだかゆらぐときは、私が自分を決めきれてないからとも言える。それは、具体的に行動を起こすとかそういう以前の問題で、自分の状態や気持ちを決めれてないと、起こることや言われることに逐一ぶんぶん振り回されるんですよね。「思ったとおりにしかならない」「なんかわからんがうまく行ったマインド」なんて随分前から自覚していたので思い出すだけなのですが。「自分のことは自分が一番分かってる」という敦子さんの言葉もお守り。

それでも、焦ったり妬んだり僻んだりネガった時は「僕らは所詮エゴまみれの人間を地球でやってるんやから、ほんのちょっとでも何かに感謝できてたら十分よ」というジム・パーソンズの言葉を思い出して気持ちを落ち着かせるのだ。

A day in Caldas da Rainha2024.09.13

調子に乗って買った塩やら石鹸がずっしり重いリュックを背負って、ショッピングモールを出たところでNancie、Mei、Alexandraとばったり出くわす。これからSteveのオフィスに行くけど一緒に来たかったら行こうと言われるけど、今日は完全に一人モードなので大してプランもないけど(というかぶらぶらぼんやりするのがプラン)断る。彼女たちといるのもとっても楽しいけど、今日は何せ一人がいいのだ。ふわっと「非ソーシャルだな〜」とか「こういうコネクションが人生を広げるのでは」とかどこかから声がする。こういう声というかsecond  thoughtにぐるぐるならないように早めに切り上げる。

お昼は昨日行ったcafe citrusでサラダ食べるかな、と向かう。「昨日も来た人だ」って思われるかしら。でも今日はあの二階席でゆっくりするのだ。レジのところで「ここでオーダーしてもいいですか?」と聞くと「席で待ってもらった方が助かります」とのことだったので、「じゃあ2階にいます」と言うと「今日は2階閉めてて…」と。がーん。「店内だったらそこが…」と空いてる席を教えてもらうも、むん〜と反射的に「ちょっとまた後で戻ってこようかな」と言って店を出る。

さあどうする。ぐるっとその辺りを回ってみる。や、やっぱり1階でいいからさっきの店にするか。と戻るともう満席。お腹すいた。荷物重い。ちょっととりあえず落ち着こう、とベンチに座る。サンドイッチ買って公園で食べる…?お昼食べて、今日はもう一つのお目当てのお店 local cafeで美味しいと聞いてるチーズケーキを食べるのだ。お昼すっ飛ばしてチーズケーキ食べる?いや、朝も甘いのとコーヒー食べただけやないか、何か塩気…野菜…う〜ん。と思いながらGoogle Mapsでlocal cafeの写真などを見ると、美味しそうなフムスと野菜がありそうではないか。よし。

店に突撃して開口一番 Hi と言ってしまう。お店の方も英語には慣れている様子。英語のメニューありますか…ともう完全にサレンダーである。なんとか頑張ってポルトガル語を…みたいな気概が今回本当にない。申し訳ないと思いつつも、分からないから仕方ない。そして英語わかってくれるから流れてしまう。いや、別に悪いことではないのかもしれないけど、なんかね、やっぱり英語が第一言語でない国で端から英語で堂々と行くのはどうなんだ、と思ってしまうんだよ。まあお姉さんはそんなこと全然気にしてないようだったけど。

お姉さんとってもフレンドリーでゆるむ。フムス発見。とりあえずそれと水を注文して(水は冷たいのがいいか、とまで聞いてくれた。じゃあ常温で…と)、「今日チーズケーキありますか?」と聞くと、あるけどまだ固まってないかも〜とのこと。どのみち食後のつもりなので、また後で大丈夫ですと伝える。

フムスと生野菜とピタと水。ああ、これが欲しかったんだよ〜とテラス席や外の様子が見渡せるカウンター席で満たされる。最高。むしろこっち来て良かった、とまで思う。

食べ終えた頃に、「どうですか〜」と皿を下げに来たお姉さんに「これが欲しかったんです」と伝える。チーズケーキはまだちょっと無理そうだけど、他にも焼き菓子あるから見てみる?と言われてひとまず見に行く。や〜でもどうしてもチーズケーキなんだよ〜と「友達からここのチーズケーキ美味しいって聞いて、、。また後で戻ってこようかな?」と言うと「もっかい聞いてみるわね」とキッチンへ向かうお姉さん。そして両手thumbs upで戻ってくる。わ〜い!嬉しい。

ラズベリーソースの上に置かれたチーズケーキはしっとり美味しかったのはもちろん、一緒に頼んだコールドブリューのコーヒーがまた美味しかった。エチオピアかしら、、と思って後で聞いたらそうだったので小躍りする。豆も最後の一袋があったのだけど、300gで27€、ちょっと瞬発で買えなかったのでまあよしとする。後で、ああやっぱり買ってもよかったかな…とか思うけど、買ってもいいし買わなくてもいいのである。まあカナダ西海岸のロースタリーやったしね。

あそこで一旦ベンチに座って落ち着けてよかった。熟考も大事ではあるのだろうけど、わたしは逡巡癖があるので、おろろ、となった時に気分のコルクを下に引っ張る手に気づいて離していくの、うまくやってこ。と言う気持ち。

そしてこれを打ち始めたら、一時預かりしてる白猫のAngelちゃんが膝に乗ってきた。手に向かって頭突きしてくるので、最初はこのカタカタ音が気に障るのかしらと思ってたら、どうも逆で、カタカタを聞きながら顔だけlaptopに上げて目を閉じてほわ〜としてらっしゃる。写真撮りたいけど動けない。ちょっとそろそろ終わるんだけどカタカタ止めていいかしら…

202408312024.08.31

今月は今月とて色々あったなーと振り返って思います。

ドラムを続けることを決めたり(still funです)、20年以上ぶりに水着を買ってプールに行ったり。ちょっと支出が激しい気はするけど、気持ちよく使っているのでよしです。なんとかなる。

台風がきて、楽しみにしていたホテルwith プールの予定を変更せねばかも…ぴえ〜んとなったときに、「いや、どっちにしてもハッピーになれるぞ」と気づいて、自分の感情ってつくづく自分の思考次第なんやな〜、と分かりつつも、まだまだ気づいたら過去のことにフォーカスして悲しくなったりムカぴー!ってなったり。気分って放っておいたら浮上するコルク論(下がるのは自分で水中に引っ張ってる)を思い出すなどしている。でも時々全部に「ぅるせー!」と言いたくなったり。

京都市内(都会)で一人暮らしするのもいいかもな、と思っている今日この頃。今ここの暮らしも好きだけど、ちょっとなんかやっぱり変えたいかも。考えてわくわくするのはいい傾向かな。

まずは来週のポルトガル〜。こんなにゆるんでていいのかな、という感じですが、そのゆるみのまま行きたい。

202408012024.08.01

暑い、分厚い湿気の中をかき分けながらノロノロ進むような1ヶ月だったけど、進展も進歩もあってグッジョブと言いたい。またもや、あれもこれもこの1ヶ月にあったのか…と思うところを見ると濃ゆかったんですね。アップもダウンもあった、とも取れるけど、「悪いこと」ではなかった、という実感です。

まずはやっといわゆる“セルフラブ”とは?というのがちょっと腑に落ちたのでした。To call it “Self acceptance” fits me better. 言葉の上ではわかっていたけど、不安を感じては「不安になってはいけない」、「人と比べてしまった、そんなことしても良くないのに」、「足りないと思ってしまってる、よくない」と、「あ、不安なんだな」「比べたな」「足りないって思ったな」で済ますところをまたもやいっぱい🙅🙅つけてましたね。

いや、もちろん不安だとか妬んだりだとか自分に不足を感じるだとかはする必要はないのですが(なぜなら「できる/できない」「ある/ない」は属性であって、どっちにしても私は最高だから)、そう思う自分も含めて受け入れる、思っててもいい、思ってても何も悪いようにはならない、望んでもいい、叶う、なのかなと。

まだぼんやりした感じではありますが。

最近立て続けに、笑顔を褒めてくださったりだとか、英語学ぶの好き、ESS好き、だとか、人と会いたくない気分の時も私とは会って話せる、だとか、世界は優しいなあ。。とちょっと頑なだった心の何かが解けることがあって、自分で自分にもそういうふうに声をかけていこうと思った次第です。

ドラムと美容とポルトガル語、が8月のテーマです。美容は「嫌なところをなおす」というよりは、extra careを自分に許す、自分を労る、と言う意味で(もちろん「こうなったらいいな✨」はある)。夏に水着着てプール付きホテル(もしくはビーチ)に行きたい、という願望も数年持っていたのですが「何を待っているのか?」「じゃあ行けばいいじゃない?」と思ったのでいきます。そのほかにも、追加料金のかかる特急にはよっぽどでない限り乗らないようにしている、というような謎の厳しめルールを解いていきたい。です。