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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

The (sudden) dance enthusiasm2022.01.24

sudden なのか、ずっと内側でふつふつしてきたものなのか…「翻訳手放して、カフェで働いたりするのだー!」と同時に降って湧いてきたのが「ダンスしたいー!」という気持ちです。

ヴィジュアルははっきりしていて、広いスタジオで、大音量でノリノリ踊る!というもの。何かを目指すとか、チームで発表会とかはなくてよくて、ただその場に居合わせた見知らぬ人たちの中、半分背景みたいになって踊りたいな〜って。なので、YouTubeにいっぱいあがってるよ、とか家で一人で好きに踊ってるよ、というのは「…それはわたしのしたいダンスではないのや…」と思っていて。

見つけたのは、ダンススクールとジムのダンスプログラム。

ジム自体も全く縁遠かったのですが、ダンスプログラムの見学に行った時に、新年キャンペーン(3ヶ月行きたい放題で2022円!)の最終日だったので、後押し!とばかりに入会。今日初めてダンスのプログラムにも参加して、自分の動きのちぐはぐ具合に苦笑いしながらも、Uptown Funkが流れた瞬間「これやー!」と満たされました。当たり前だけど、振付をこなしたり覚えたりするのは好き勝手おどるのとは違うね…。別に知り合いとかできなくてもいい、とは思っていたけど、お隣の方(50代ぐらいかな〜 でもわたしよりキレが良い)が「むずかしいね〜」という風なコミュニケーションをふんわりとしてくれたのがうれしかったり。

ジムの人も、器具の説明など優しく丁寧にしてくださって、まるで異星人のようにおどおどしながら、ウォーキングマシーンで歩く自分が面白かったり。体幹の筋肉が本当にないことも明らかになったので、筋肉量増やして姿勢も改善したいです。

実は昨日、ダンススクールの超入門クラスの体験も行こうと思っていたものの、初めての場所で、そこはもっとバリバリ踊る人たちが多いイメージだったのと(めっちゃかっこいいんですけど)、雨降りの寒い天候も向かい風になって、どんどん気後れして行くのをやめてしまって。そういう自分に落ち込んでいたのですが、今日だめだめながらもやってみて、改めて来週行ってみようと思ったのでした。。

Kさんから聞いた、サンフランシスコ(バークレーかな?)にあるダンスホールは、昼間に老若男女が好きに踊る場で(ナイトクラブみたいなのではなくて、明るい)、そんなのがあれば最高だな〜とも思います。

I was still2022.01.24

not working for what I want to do, just to be a help of someone I respect or I like, which is also can be an important reason for work, of course, but I realized I wasn’t enjoying some part of it that much.

かっこいい作品、おいしい食べ物、美しい空間をつくる人たちの役に立てることは、もちろんわたしの仕事の大きな動機ですが、この年明けふと「翻訳けっこうしんどいな?」と気づいたのでした。

I want to be a help of people I respect or I think interesting というのは間違いないけど、「できること」が思ったよりvagueで「訳すのが楽しみだー!」というよりは「不安しかないけど、なんとかできると思います、、」みたいな気持ちが強くて。これはなんか、実際いいものができているかどうかとは別の話で。

英語で何か力になりたい、というのは確かにあるけど、それはもう少しざっくりした「やりとり」であったり、会食に同席してゆるく会話を助けることのような(雰囲気の例えです)。バイリンガル表記のものを読んだり、英語の音声と日本語の字幕を同時に取り込むのも「楽しー!」と思うようなので、完全に翻訳を止めるのではなく、チェックの方なら続けられるかもしれない。

今までわたしの翻訳をチェックしてくれていたW氏や、日本語でも英語でも良い文章が書けて、読書量も遥かに多くて、自然な日本語も操るKさん(どちらも米語ネイティブ)が、翻訳をやることに前向きなので、ああ、そういう方向かな?とうっすら感じています。

あとは、Aさんが「たくさんあるプロジェクトの進行管理、外注できるならしたい!」とこぼした時に、特許事務所時代の職務でやってて得意でした!と自然とでた。職務自体は得意だな〜と思ってたし、一緒に働く人たちも好きだったけど、辞めた理由は「特許」自体に思い入れが持てなかったから。Aさんが関わるプロジェクトはいつも魅力的で、得意なことで一緒に携われるなら大変幸せです。

そして、ずっと好きなカフェやおやつにもう少しphysicallyに関わること。自分が店をやりたいとかいう気持ちはあまりないし、すでに周りには好きな・かっこいいと思う空間や食べ物をつくる方たちがたくさんいるので、そういう場所で働いたり、袋詰め作業とかそういうので、get involvedしたいぞ〜という気持ちです。

最後に、本作り。THE PINE PAPERというフリーペーパーを出してみて、fangleさんで「本作らないんですか?こういう写真にちょっと日本語と英語あるような本とかいいですよね。作ったら置きますよ」と言われて、自分も「そういうのいいな!」と思ったのでちょっとずつ進めているのです。他にももう一人、そういう本があれば「買います!」と言ってくれた人がいるので、ってたった二人ですけれども…

それと同時に「やりたいぞ!」と思ったのがダンス。ストリートダンス 、ヒップホップ。それについては次に。

Me 2022 to Me 20212021.12.31

合っているのかはわかりませんが、まあいけるでしょう、2022年のわたしから2021年のわたしへ!といっても「昨日のわたしへ」ぐらいの未来ですが。

よくぞ気づいた!というのは、いかにわたし(あなた)が「自分にはこれが欠けている」と思って気にして(執着して)きたことは周りとの比較や、映画やドラマやソーシャルメディアで見てきたものを「これが幸せというものか」と思い込んできただけだ、ということです。ほんとに少しだろうけど、「マイノリティー」と言われる方たちが感じてきたことが分かったような気もしましたね。あなたの幸せはあなたが一番分かっているはず。

外に答えを求めがちだったことに気付いて、自分の声をきくことを少し始められたように思います。オレゴンでたまたま見てもらったサイキックの人にも、他の何かの占いでも「もっと、もっと」と思っていると言われたのが腑にも落ちました。「もっと上を目指す」とか上昇志向的なことではなくて、今の自分は足りていない、と思っていますね、ということだったようです。

パートナー探しを何か自分に欠けていて、達成するべきもののように思っていたし、かといって色々想像しても「めんどくさそうやな…」と思ってたんだから、いなくて当然というか望み通りで。ただ「いた方が良い」と、なぜか比較のbetterで思い込んでいたから、自分の今の状態はworseになるわけで。そこの摩擦がしんどかったんですよね。そこから脱せたのは本当にめでたい。ほんとに「いてもいいし、いなくてもいい」どっちのあなたも何も欠けていない。もし今後パートナーと呼べる人が現れたとしても、そのことは覚えておきたいと思います。

そんなあたらしい気持ちで迎えた2022年は、今まで以上に自由でわくわくしています。わたしはいつもあなたの味方だし、あなたの周りにはたくさんの素晴らしい人たちがあなたの人生に関わり合ってくれています。自分自身とそんな人たちに日々感謝して歩むこと。自分の感情は、少なくとも自分だけにはちゃんと見せること。

House Hunting2021.12.26

最後に住居について。今年はずっと、部屋を借りるかどうするかという波と共にあった気がします。若干視覚聴覚過敏なところがあって、静かに過ごしたい、自分のペースを守りたいというのが主な動機で、いくつか実際に物件を見に行ったりもしたものの、ピンとは来ず。その度に今の住まいにある静けさや良さも見つけたり。でもどこかにある気はするので、気長にいこうというのが今の着地点です。

カードに no とか not the right time とか言われたり、「出る時は自然に後押しがある」というゆきさんの言葉、「出たら戻らない」「(家族と)一緒に居れるときはいておけば」というのも。ただ、家族という結びつきのある人と一緒に住むことから受ける影響、「自分」になれない感じも、ちょっとわかるので、やっぱりいつかは、と思います。家探しを続けた方が良いか、と問うて doesn’t matter という答えが出たのはどういうことか…探そうが探すまいが出てくるということか、と思ったり。ムン。それはそれで、わくわく。

「こう過ごしたい」をイメージしつつ、今の住まいに感謝しつつ。

Minor Adjustment2021.12.14

旅でいろんな人に出会って、自分のことを話す機会があるのも良いことのような気がします。紋切り型に話していることもあるけど、そこで微調整もしている気がします。ESS(英語のレッスン)と翻訳、というのは変わらないけど、自分のスタンス・姿勢を改めて考えたり。

わたしの英語のレッスンはやっぱりESS(えいご・しゃべれ・そう)がちょうど良いようです。自分の中に「話せるようになってほしい!」とか「何かを目指そう!」「頑張りましょう!」という気持ちがなく(笑)、英語のことを知ったり、ちょっと使ってみたり、なんとなく距離を縮めていける、そこに「たいへん」とか「しんどい」とか「やらないと」みたいな苦しい感情は生まないようなレッスンになるのだろうなあと思います。「別にしゃべれなくてもいいじゃん」というのは前から思っていたけど、「喋れるようになる」レッスンではないと言うことを恐れずにいきたいです。「ペラペラになる」レッスンではないけれど、気持ちのハードルを下げたり、自分の「できる」ことを認めたりはできるように。わたし自身が帰国子女でもネイティブでもなく、でもまあコミュニケーションはある程度大丈夫でしょう、という「ある程度の自信」があるので、それが伝えていけたらいいかな。なので「えいご・しゃべれ・そう」なんだと思います。ただ、「英語のレッスン」というと一般的な固定観念があったりするので、その方針(?)は伝えていこうかな、というところ。

翻訳は、基本的に「あなたのために役に立ちたいです」という気持ちのもと。学生時代に米井先生から学んだ(と思っている)通り、翻訳行為は言葉から言葉だけではなく、コンテクスト(中身)を伝えること。柴田さんの言う「ヴォイス」のようなことでしょうか。日本語で日本人が読んだ感覚を、英語で読んだ人にも感じてもらえることが理想。自然とわたしも共感できたり、かっこいいと思ったり、好きだったりするご依頼ばかりなので、ありがたいです。日本語で読んでも響かない人には響かないし、それは英語も同じかな(逆にそういうのが英語の方で万人受けしたら、誤訳なのでは、、!笑)、というのを気休めに、きた球は心を込めて打ってゆきます。

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東京都現代美術館で観た、クリスチャン・マークレー「トランスレーティング」で、ほう、と思った作品たち。

Benefits of Trip2021.12.14

4泊5日、東京&葉山の旅。

気になっていたお店にいろいろ行けたこと、そして素晴らしい方々との再会や新しい出会いが大きな収穫。

I don’t know why but I got better and better towards the end of the trip. Not sure if that’s because Hayama fit better than Tokyo, but it was nice seeing people I know and new people who have kind, mellow and chilled vibes.

ふらりと入る人にも地元の人や常連さんにも居心地よいお店、というのが良いお店だなあとよく感じた旅でした。plus、お店のディテールがかっこよかったりするので惚れ惚れしますね。やっぱりそういう「いいな」と思う空間に触れることは大切な気がしました。簡単に行ったお店リスト:

lou(中野)
Commissary Nihonbashi(日本橋)
Chez RONA(経堂)
FLUMINA(渋谷)
uRn. chAi & TeA(恵比寿)

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商品はもちろん、お店の空間や店員さんの人あたりが本当に良かった uRn.さん。ここがあったら住めるな、とまで思ってしまった。ガラス張りのファサード(にカラフルなお花の絵)、ロフト席もある高い天井。色もポップなんだけど明るすぎない、最高。

葉山ではひたすら心地の良い人たちに会った気がする。生活をして、夕日を見に行ったり、午前中たっぷりぼんやり海辺でピクニックをしたり。もちろん色々どうするか悩むこともありつつも、「違うな」ということはしない、「頑張らないと(稼がないと)」というマインドで心が「うっ」となる仕事を無理してしない、という気持ちを分かち合えたのは元気が出ました。今までの価値観や社会の成り立ちがあるから、考えのクセがあったりもするけどね、と言いながら。そして猫のマティちゃんとちくわの話には癒されたなあ。

後半に向けて体の調子も上がったからか、「ああ、また行きたいなあ」なんて気分になっている。

Spiral Learning Applies to Everything2021.12.03

以前英語は螺旋階段を登るようなSpiral Learningだという話をしました。また同じ間違い…また同じ単語調べてる…これ前も「何て言うんやっけ」って思った…などなど。でも前進していないのではなくて、同じ景色だけどちょっと登ってるんです。これって結局何においてもそうなんでしょうね。得意不得意(?)でそのスピードが違うのかもしれないけど。

個人的には「パートナーがいない」件もその一つです。というか、今日鍼灸院の先生と、結局自分が一番そこに執着というかこだわってる、気にしてる、ということですよね〜って。何回この問答を繰り返したか。ここでも何回書いたか。読ませてしまってすいません。

そして、男性に対する不信が、余計に不信を煽る出来事を呼んだり見たり聞いたりしてしまっているということ。「やっぱりそうなんだろ」と思いたいのかもしれない。そういう目でわたしが見てる。恋愛感情を寄せてこない男性に対しては、そういうのは全くないのですけど。ほんとにいい人ばっかり。(って、そう信じてるからそうなんですよね、、笑える)

いくら周りの人に「いい出会いがある」と言われても疑っていたのは自分だし、親が結婚のことも子どものことも何にも言わない人たちなのに気にしてるのは自分だし。(鍼灸の先生にも「今の時代にそれ(結婚)?」と言われて笑ってしまった)

まあこれもまた、思考にクセがついてるから気づいて変えていきたいです。
たぶん、こういうことがたくさんあるんだな。

長いことパートナーなお二人が結婚23周年で、「お互いが本当に、心の底からやりたいことをし、それを応援する一番の味方になります」という結婚当時の宣誓をシェアしてくださっていて、いいビジョンを与えてもらったなーと思いました。

そして、パートナーなりなんなりがいるいないに関わらず、わたしは何も損なわれないということ(こないだのRoot Readingでこう声をかけてもらってまた泣くなど)。いないことを自分でディスるのはほんとにやめ。やめ。

今日も明日もわたしと何か一緒にと声をかけてくださって、ほんとにありがたいしうれしい。

Pretending It’s Okay2021.11.30

This morning I got a message from one of my students that she wanted to put off today’s class as she didn’t feel good. Of course she can (according to my lesson rules) and I didn’t want her to be sorry so I replied that’s totally fine. But at the same time I was disappointed as I’d been looking forward to it and excited about it, and I’ve been realizing that it’s important to admit that I feel sad or hurt or disappointed and embrace that feeling.

思えば「わたしは平気だ」と思ってきたことがたくさんあります。もちろん、そう思うことで「大丈夫」と思えるから大事なわけですが、その前にいったん「かなし、、」とか「ガッカリ」とか「つら…」みたいな気持ちをちゃんと認めてなかったなーと、やり過ごしてたなーと。

深い悲しみのときはそれがしやすいのですが、なんというか、すぐに立ち直れるちょっとしたことって自分の気持ちを無視してたり意外とするもんですね。

そういう気持ちを味わって、ずっとその中にいたり、何か解決方法を考えることを勧めたいわけではなくて、「あ、わたしちょっと今の悲しかったわー」って「そうやんなー」って言うのってちょっと大事な気が(やっと)最近分かったというか。

上に書いたような、急にレッスンが延期になったり、予定がキャンセルになったりとかもそうだし、前に触れたflirty textとか下ネタとかも(信頼できる人たちの間なら大丈夫だったりもするけど)。ふと思い出したのは、中学校の時にクラスの男子に下ネタ的なのをふられても、わたしはかなり冷静にコメントをして「やだな」っていう気持ちは出さなかった(「きゃー」みたいなそういう反応を期待されてると思ったから)こととか。

気持ちをぐっと抑えて、「わたしはそんなの平気です」みたいなポーズを知らず知らずのうちに、みんなそれぞれの場面でとってきたのかなーなどと思ったりします。

なんかね、それがわたしのパートナー不在問題にもつながっているなと思うので、またそれは次に。

小学校の時に「ニコニコマン」と呼んでくれた男の子がいたことも思い出して、それは何だかとても尊いし、よかったなーと思うし、今のわたしもそう思ってくれてる人が多くて、うれしい。と、同時に、何か瞬間で感じた悲しい方の気持ちをなかったことにしないようにしたいなと思います。That doesn’t make me a sad person. ね。

で、今日のレッスンはなくなったわけですが、レッスン前に行こう〜とお昼予約してたので行ってきます(笑)一瞬「えーん」って思ったけど、今若干 in my healing process なので、まるっと一日いただいたと思って。

Tranquility2021.11.28

今までにないぐらい投稿の期間が空いてしまいました。忙しかったのかといえばそうだし、ただ書こうというむきにならなかったというのが何よりの理由だと思います。

I’ve been feeling somehow unsettling, having hard time taking time to see myself. But I feel like I finally have time for myself and what I want.

「自分と向き合う」がどうするのかちょっと分からなくなっていたような。内に向きすぎると世界が狭くなって良くないような気がして、どこか周りを見ている瞬間が多かったかもしれません。結果、身の回りにある静けさを味わうのを少し忘れていたようです。

朝、母親が仕事に行って、父親や祖父が寝ている午前中の時間が一番落ち着く。家の周りは静かだし、向こうの山まで視界が広がるのでそこはそれがいいんだけどな、、音で乱される気がするのも、ゆっくり自分との時間を取れていないからかもしれません。し、やっぱりわたしは静かな場所が必要なのでして。

半年ぶりにweltさんのトリートメントを受けて、なんというか「外面」の奥のわたしの声にも耳を向けてあげねばと思ったのでした。外向きのわたしがいるのはそれはそれで良くて。ただ実は我慢してたこととか、無理してたこととか、気づいてあげられるだけでも違いますよね。2年ぶりにtandemをやっていて「ああ、結構わたしちょっと嫌かもって思うことも嫌われたくない人には合わせてるな」と気づいたのもよかったです。まあそれも、質問などされた後にYou don’t have to talk anything unfomfortableとか、話の流れで「uncomfortableとかpressured に思わせたくはない」と言われて分かったのですが。聞かれたら答えなきゃとか、comfortable zoneから出ないと、、みたいな強迫観念があるのは事実でして。でもやっぱり「なんかやだな」って思ったら出なくていいんですよね。

「何でも経験してみないと嫌か好きかもわからないし、、!」と追い込む(どこかで5月生まれの性質、と書かれていた)のも、それがポジティブな「やってみたい」じゃなければやらないで良いのですよね。(英語も「気持ちは向かないけど、喋れた方がいいし、、」みたいな人には「やらんでいいですよww」っていうくせにね)

それを避けていたら訪れるべき変化もこないとか、人生損してるとか、思うのやめたいな(疲労)。(この辺はドラマとか映画とか見過ぎ)

やっぱり「楽しそう」「面白いね」とかポジティブな反応を受けるのはうれしいから、ついついやってしまってたようなところもあります。「まじめ」とか「つまらない」と思われることへの恐怖がありますからね。そういうのなしにしても、やりたいこととか楽しいことはあるから、それでいいんですね。それで十分、わたしの何も損なわれないし、それで愛されなくなることもない。

ちょっと時間はかかるかもしれないけど(くせがついてるので)、そう思えるように変わりたいです。

そうやって、見つめたら英語のレッスンも翻訳もやっぱり好きやな、と思えたので安心。ただどういう形でとか、その中でも何が好きかとかはこれからも微調整しつつ。そうする中でも、やっていけているから「それでいいよ」ってことなんだと思いつつ。やっぱり無理なく続けて、なんかちょっと距離縮まったかも、、って思ってくれてる様子は嬉しい。そしてわたし自身もそのスタンス忘れないようになのです、無理なく続ける。

How to see the spirit2021.09.03

今見ている THE UNDERGROUND RAILROAD の Ep.4 で、おじいさんが「万物にグレート・スピリットは宿っている」という話をしていました。それがわたしたちをつなげていると。息子はどうやって「グレート・スピリット」は見られるのか?もし自分にその力がなかったら?と恐れています。

「全てのいのちあるものをじっと見つめる。その中に自分を見るんだ」というようなことをおじいさんが言うていて、なるほどなあ〜と思ったのでした。

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先日、Camblyのレッスンで「(最近忙しくて)昨日疲れがピークでした」ってなんと言うのかと言う話をしていました。

My tiredness peaked yesterday. は「そう言う風には言わないけど、クリエイティブで良い」とのこと。じゃあなんて言うのかと聞くと I was really tired yesterday. って、何か足りへんやん?あ、I was the most tired yesterday. でもいいかもって言われて、あ〜それかな、と言う落とし所でした。

「疲れがピークだった」って peakを形容詞的にカタカナで使うのにめっちゃ受けてた。(日本語もそれなりに分かる先生)

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I know I should write these things, but it’s been a little bit too much for me to put out something on social media. Someone once said “I feel like I haven’t done anything if I don’t put anything on the social media”, and I kind of felt the same a while ago. But there’re many friends and people who are off the social media and they spend a filled life, so I shouldn’t care so much. It feels easier to drop something here, which might mean I’m too self-conscious. Haha.

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ありがたいことに、向き合う翻訳があって、やってきそうな翻訳もあって、ぼちぼちレッスンもある。中医学・漢方(特に身の回りの食材がどういうはたらきをするのか、だから薬膳?)に興味があるので時々そのあたりの本を読んだりしてリフレッシュしつつ。人体のしくみと季節や世界のうごきのつながりも面白いです。あとは珍しく翻訳された本で面白くて読み進んでいるやつ、『ゼア・ゼア(There, there)』も最後まで読みたいな。

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kasiさんでのレッスン帰りに。左上の雲が撮りたかったんです。

How we see each other2021.08.17

There is a friend from high school who I meet some times a year.

Mちゃんは高校時代の友人で、大学・就職・結婚・出産を経ても年に数回会う。

今日話していておもしろかったのは、二人とも別々のことで「35年生きてきてわたしこれでいいのか?このままいくのか?人生無駄にしてない?!」と思うところがあったこと。わたしから見れば、それだけのことを35年で達成してきたなら素晴らしいじゃないか!と思うのだけど、彼女は彼女でモヤモヤしていることがあるようで。

お互い自分ができずにモヤモヤしているポイントが、相手はすんなり(?)できてしまっていることなので、なんというか、いい塩梅に意見が出せてありがたいね。

無い物ねだり、ということもできるかもしれませんが、それぞれの「課題」がはっきり出ておもしろいな〜と感じました。わたしも彼女も、それに向き合っていくか。長いスパンで定期的に報告会ができれば、なんだか実り豊かだなあと思う次第です。

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二人ともチョコミン党でした

Visiting Graves2021.08.11

It’s the week of Obon. Not the actually Obon (13th-15th) yet, but as aunt M (mom’s sister) doesn’t have a day off during Obon, so she and my mom and I went to my other aunt’s grave and my mom’s side family grave today.

I’ve liked visiting graves since I was a kid. I remember visiting our dad’s side family grave on a daily basis with my sister when we were in elementary school,  on our spring vacation. I don’t go there that often any more, but I don’t hate it.

Recently I watch some medical shows both drama and documentaries and I’m amazed by how our body is so complicated. I can’t help but think that how it works is miraculous.

I’m so grateful for just being alive and every little thing around me are wonderful and full of miracles and interesting things. And I’m satisfied with the life and days I have. But on the other hand, I keep asking my self if I’m doing what I want to do as I’m healthy and lucky enough to (basically) do anything. When I met some fortune-tellers or psychic people, I was told that “You want more”.

It’s not completely a bad thing, but I don’t want to keep feeling “This is not enough”. At the same time, I don’t want to shut the voice and forcefully convince myself that there’s nothing I want. So… I guess it’s another things to balance. The satisfying feeling and the desire for something.

I’m always happy and I won’t give up what I want or accomplish. What is the “what I want or accomplish” is another story to tell..

I don’t know why this ended up like this from visiting graves, but that’s what I thought today.

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A difficult question to answer2021.08.03

お店などで聞かれる「今日はお休みですか?」
ここ数年私にとって最も答えるのが難しい質問の一つ。
「休みといえば休みです」みたいな答えかたをしてしまいます。

An easy answer should be “Yes” if I don’t have any classes or translation project.
しかしながら、Daily Chatという毎日やりとりをする「仕事」もあるし、
展示を見たり、本を読んだり、本屋に行ったり、なんならそのお店で何かを感じたり考えたりすることも仕事に生きたり繋がったりなので、「お休み」とは…と思ってしまう。

「仕事に繋がる」というのは別に営業活動をするのではなくて、行ったお店のデザインや商品や空間や人のおかげで、何かが磨けたり調ったりして良い仕事ができるから。もちろん、あーすごいなー!かっこいいなーと思ったり心が動かされる人や場所の役に立つことを仕事と思っているので、最終的にレッスンや翻訳のような形で役に立てればとてもうれしいけど。

Adam JKという作家さんが
“Do what you love and you’ll never work a day in your life work super fucking hard all the time with no separation or any boundaries and also take everything extremely personally”
と書いていて笑ってしまった。couldn’t agree more であります。

だからってそれが嫌なわけでは決してありません。
むしろうれしいし、ありがたい。
この文章にもなんだか「でもそいうとこが好き」みたいなものが見え隠れしませんか。

特許事務所で働いていた時も、できることが増えたり高い英語能力が活かせていたり周りの人の役に立てていて「仕事」として好きでしたが、仕事終わりや休日の方が「本気」「オン」であることも多く、逆に仕事が「オフ」というか「自動運転モード」のように感じたこともありました。

今は全部が「オン」であり「オフ」。
全てに神経質になるわけではなくて、好き〜と思ってすることが、収入を得るという形の仕事に活きていると思えるのは流れがあってとても良いし、大事にできたらなあと思います。

Look what you have2021.07.11

Sometimes it’s hard to know you’re doing something because you love it or because people love it. But the idea that you help people with something you’re good at or you feel easy.

There are so many people on social media who have something they really love or they’re enthusiastic about, and you see their effort, what they created, them offering their skills, selling products, how happy and grateful they are, the supposedly ideal life, etc. And you don’t feel like posting anything or there’re nothing to post, thinking, who cares? But at the same time, part of me is worrying if I seem like a boring person.

I’ve been sad and lonely quite often recently even though I have so nice people around me. Maybe too nice. So nice that I feel my lack of compassion, kindness, enthusiasm or many other things, which makes me paralyzed even more. It seems like everyone else has family or friends who are close to them, who can share their life together, because they’re nice. And I don’t, because I’m not.

But deep inside, I know none of that is true and I’ve already had what I need. There’re people I care. Just doing what I’m intrigued is enough. I’m grateful that I still have something that I’m intrigued. As if to prove that, people ask me for help or offer me a job out of nowhere (well it’s not technically nowhere as I’ve known them), and I feel excited hearing it, which is a good sign.

色んなことに心が惹かれなかったり、SNSに載せるようなこともなかったり(あっても載せるのがめんどう)、みんなのちゃんとやってる感じに落ち込んだり、「良い」とされることもどっちでも良くて、必要最低限以上のコミュニケーションがめんどうだったりチェーン店やショッピングモールで満たされたり安心感を得たりして、大丈夫かなと思うけど、「それでも惹かれること」があることに気づいたり、思いがけずお仕事やレッスンのお声がかかったり、会いに来てくれる人がいたりするので(それに私もわくわくしているというのも大事)「あ、これでいいんやな〜」と思うに至りました。(英語の文全部を日本語にするのは野暮なので要約…)

洗練されたもの、環境に良いもの、人の手が作ったもの、心が調うようなものや空間も好き・大事なのですが、チェーン店の気抜け感・雑多感・安心感に癒されるんだよなあ…郊外育ちのDNAかな(とはいえどのチェーン店でもいいわけではない、というややこしさ)

きのう、ブラックホールのドキュメンタリーを見ていて、字幕が「研究のために妻と離婚したよ」的なのに ~ devoted my life しか聞こえなくて、英語字幕にしてもそうとしか言ってなくて、まさかどこかで何かがどうにかなって ~ devorced my wife として字幕翻訳者が訳したのでは…と、普通に見ててこういうのつかめたりするの面白いな、うれしいな、と喜んでいました(全くもって私が間違ってるとか知識不足かもしれませんけど)。いわゆる「ペラペラ」路線が人気ですけど、英語との関わり方も「喋れる」のグラデーションも千差万別で、ちっさいわくわくや面白いな〜を重ねていくのも良い気がするのです。

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思い立って母を相棒に車を走らせてみました。これぐらいひらけた海を見るにはやっぱり1時間半ぐらい走らないといけないのかな〜 波の音。

Thoughts on Time2021.06.18

As I written in the last article, I thought I wanted to watch “Tenet” again, then it has come on Netflix! やた〜!と思って早速見ました。I also watched “Interstellar”, which I once saw at a movie theater back when it was released, but あれ、こんな泣けるやつやったっけと思うぐらいぐっときました。おかげでスーパーでお客さんの赤ちゃんにあやされているカード勧誘員のおじちゃんをみるだけで何故か泣けてくるなど。(特にストーリーとは関係ない)

So, thoughts on time. どちらも過去・現在・未来の概念が何だかミョ〜ンとなる感覚がexcitingですが、先日のあずささんたちのお話から感じたように、「未来の自分のために行動する現在のわたし」と思ってきたけど「過去の自分ために行動するわたし」でもあるのか?と一瞬よぎるのです。

team Komedayのレッスン後のお話でも、Y子さんが「あの時なんでわたしあんな頑張れたんやろう、頑張ったなあわたし、えらいなあ、って過去のわたしをギュってしたら、『あ、いま(当時から見れば未来)のわたしのこれ(応援・えらいぞ!大丈夫よ!っていうやつ)が届いてたんか』ってなんかスッと腑に落ちて」というような話をされてて、ああ、ラボタモさんも同じようなこと言ってたな(訳させてもらった、うるる)って思い出しました。

過去・現在・未来が同時に存在する、ってところは「むむ、わかるようでわからない・・!」となっていますが、これも exciting ですよね。

TENETの What happened is what happened. と Interstellar の Gravity can transcend all dimensions. というような言葉が残って、I was like, “What’s gravity in the first place…?”, and I watched some YouTube videos about gravity and time, picked a book about time that I bought in Florence two years ago and such.

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This is the book. これがその本。

そんなこともあって、最近は「動かなきゃ!」「何かしなきゃ!」という気持ちが少し落ち着いています。