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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

Tranquility2021.11.28

今までにないぐらい投稿の期間が空いてしまいました。忙しかったのかといえばそうだし、ただ書こうというむきにならなかったというのが何よりの理由だと思います。

I’ve been feeling somehow unsettling, having hard time taking time to see myself. But I feel like I finally have time for myself and what I want.

「自分と向き合う」がどうするのかちょっと分からなくなっていたような。内に向きすぎると世界が狭くなって良くないような気がして、どこか周りを見ている瞬間が多かったかもしれません。結果、身の回りにある静けさを味わうのを少し忘れていたようです。

朝、母親が仕事に行って、父親や祖父が寝ている午前中の時間が一番落ち着く。家の周りは静かだし、向こうの山まで視界が広がるのでそこはそれがいいんだけどな、、音で乱される気がするのも、ゆっくり自分との時間を取れていないからかもしれません。し、やっぱりわたしは静かな場所が必要なのでして。

半年ぶりにweltさんのトリートメントを受けて、なんというか「外面」の奥のわたしの声にも耳を向けてあげねばと思ったのでした。外向きのわたしがいるのはそれはそれで良くて。ただ実は我慢してたこととか、無理してたこととか、気づいてあげられるだけでも違いますよね。2年ぶりにtandemをやっていて「ああ、結構わたしちょっと嫌かもって思うことも嫌われたくない人には合わせてるな」と気づいたのもよかったです。まあそれも、質問などされた後にYou don’t have to talk anything unfomfortableとか、話の流れで「uncomfortableとかpressured に思わせたくはない」と言われて分かったのですが。聞かれたら答えなきゃとか、comfortable zoneから出ないと、、みたいな強迫観念があるのは事実でして。でもやっぱり「なんかやだな」って思ったら出なくていいんですよね。

「何でも経験してみないと嫌か好きかもわからないし、、!」と追い込む(どこかで5月生まれの性質、と書かれていた)のも、それがポジティブな「やってみたい」じゃなければやらないで良いのですよね。(英語も「気持ちは向かないけど、喋れた方がいいし、、」みたいな人には「やらんでいいですよww」っていうくせにね)

それを避けていたら訪れるべき変化もこないとか、人生損してるとか、思うのやめたいな(疲労)。(この辺はドラマとか映画とか見過ぎ)

やっぱり「楽しそう」「面白いね」とかポジティブな反応を受けるのはうれしいから、ついついやってしまってたようなところもあります。「まじめ」とか「つまらない」と思われることへの恐怖がありますからね。そういうのなしにしても、やりたいこととか楽しいことはあるから、それでいいんですね。それで十分、わたしの何も損なわれないし、それで愛されなくなることもない。

ちょっと時間はかかるかもしれないけど(くせがついてるので)、そう思えるように変わりたいです。

そうやって、見つめたら英語のレッスンも翻訳もやっぱり好きやな、と思えたので安心。ただどういう形でとか、その中でも何が好きかとかはこれからも微調整しつつ。そうする中でも、やっていけているから「それでいいよ」ってことなんだと思いつつ。やっぱり無理なく続けて、なんかちょっと距離縮まったかも、、って思ってくれてる様子は嬉しい。そしてわたし自身もそのスタンス忘れないようになのです、無理なく続ける。