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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

202410312024.10.31

また月初と心境が変わってしまって笑けてくる。一人暮らしの部屋を借りたいなあ、というところはあるのですが、「いや、やっぱりあたし奈良出やんでええやろ」と。なんであたしが出やなあかんねん、と。

彼から、もっと言うと「この自分」から物理的に離れたかった/「前に進んだ」「変わった」をやりたかったんや、と(分かってはいたけど)少し客観的に観察することができたのが大きな理由かなと思います。

で、「この自分」からはどこにいても何をしてても今すぐ離れられる、と体感的にわかってきたからかな。生徒さんたちや翻訳のクライアントさん、佐知子さんやお客さんたち、訪れるカフェなどで出会う人たち、家族、目の前にある美味しいもの、心地よいものに「向く」とそれができるのです。

まだね、「私はこんなに悲しい!辛い!」とか「こんなことになったらどうしよう、、!むりすぎる!終わりや!」とか出てこなくはないんです。しかしそれを燃料にすると、そっちを焚べちゃうんです。それがしんどい。だから秒でそこから立ち去るの。もちろん、悲しいっ泣きたい〜!ってなったら「わ〜ん」って泣くとスッキリするので、それは時々やるんですが、涙で消火。もう燃やさない。でもそうなる前にできるならその思いから即刻立ち去る。

広い意味で言うと、英語ができるようになった過程も似たようなもんで、ことあるごとに「わたしはダメだ!」ってなってたらここには居てなくて。適当にスルーして好きなようにやってたのと、他人の過程をあんまり気にしてなかったのと。なんなら今現在の「できる」だっていくらでも「できない」にしようと思えばできるので。

全て自分が出来事にどんな付箋を貼ってるかだ、ということ、”過去”の幸せを感じられたらそれは”今”ある、ということもちょっとずつ体感として分かってきた気がします。

大きなことでも些細なことでも、自分がぎゅっと握ってることほど「これをどうにかせねば幸せじゃない!」と思ったり「何か具体的に動かないと」と焦ったりするのですが、「握ってる手を緩めて、抱えているものをおろして、楽になる」をまずは。その心持ちで動いていきたいです。

It’s not about where you are, or what you do; it’s about how you are at this moment.

202410012024.10.03

10月。10月か〜 という感じ。

9月はポルトガルに行ったのですが、流石にそういうイベントがあると盛りだくさん感がありますね。ポルトガル、気候も食事も人も街並みもとても良かったのだけど、ああ、もうちょっと滞在したいな、また早く行きたいなという気持ちではない。

理由はたぶん大きく二つほどあって、一つ目は気候。私は多分晴れも美しいけど時々雨も降って緑がもりもり街中に溢れているのが好きなんだという気づき。二つ目は、ポルトガルに行っていたものの、目的がアメリカ人のホストファミリーに会うことだったので、半アメリカ半ポルトガルみたいな感じだったからかな。積極的に街の人と関わることをあまりしなかったのもある。ロンドンやオレゴンの方が自然と「また行く」と思ったのだ。ヘルシンキやニューヨークもそうだけど、ちょっと寂しさ(?)もあるぐらいが好きなのかもしれん。ノスタルジー。

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今の生活も人も大好きだけど、「わたくしの生活」もやりたいのと、違う街で暮らすというのにもわくわくするので、やっぱり動くかな。部屋探しが楽しかったのと気持ちが前のめりなのもあって、内覧とかし始めたけど、なんせ3ヶ月先の契約とか待ってくれないのと、私も見に行くことで方向性が定まってきたので、ひとまず休憩。また11月半ば以降に再開します。それまでは、好きなお店や場所に足を運んでイメージを膨らませたいと思います。

ともすると現実的に賃料は安い方が…など考えて住むところの落とし所を探ろうとしていたのですが、「気分が上がる+安心するかどうか」で街も部屋も決めるぞという決意。一生住むつもりでもないのだし、という気楽なマインドセットも思い出しつつ。

今のところ、京都市内か大阪市内の好きエリア(徒歩圏内に落ち着くカフェとスーパーと緑エリア複数)。防音性高くてお部屋の中身がきれい(清潔)・機能的、が大事という心持ち。

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この間、佐知子さんと「スキーマ」の話をして、何もかも受け取り方次第ということにまた結びつきました。幼児の言語習得の話から始まったのだけど(目にシャンプーが入った子供に「パチパチして」というと目じゃなくて手をパチパチした、とか、走り方のアドバイスとして「手を振って!」というと「バイバイ」する、とか)、大人になっても個々人の「スキーマ(人間が経験の積み重ねにより獲得する、外界を限られた情報から理解するための枠組み)」があるのだ、ということを皆が分かっているだけで世界平和につながる、というのは本当にそうだよなーと思う。同時に、自分のスキーマを超えて都合よく、気楽に受け取っていけばいいのだとも。

なんだかゆらぐときは、私が自分を決めきれてないからとも言える。それは、具体的に行動を起こすとかそういう以前の問題で、自分の状態や気持ちを決めれてないと、起こることや言われることに逐一ぶんぶん振り回されるんですよね。「思ったとおりにしかならない」「なんかわからんがうまく行ったマインド」なんて随分前から自覚していたので思い出すだけなのですが。「自分のことは自分が一番分かってる」という敦子さんの言葉もお守り。

それでも、焦ったり妬んだり僻んだりネガった時は「僕らは所詮エゴまみれの人間を地球でやってるんやから、ほんのちょっとでも何かに感謝できてたら十分よ」というジム・パーソンズの言葉を思い出して気持ちを落ち着かせるのだ。