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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

Why do we learn languages2019.04.15

外国語は「ダウンロード」して使えるようになる、という話が色々と問題提起してくれました(自分の中で)。

まず、「英語のレッスン」「翻訳」を仕事にする者として、それは「アリ」だと思う。あり得る気はとてもします。でもこの悲しい気持ちはなんだ、と考えました。

前にも書いたけど、「つまんないなあ」と思っちゃうんです、たぶん。

仮に、全ては私たちの意識が作り出していることだとして、anything is possible だとすると「外国語」もそれを「学ぶこと」「習得すること」もなくなる。そうなったらそれはそれでいいんだけど、この「ああ、英語ではこういう表現があるんだ」とか「そういう仕組みか!」と気づくこととか「心地の良い音」とか楽しみが奪われる気がして悲しいのかな。

「使えるように」なることを目的にしてないのかもしれない。それは、わりとどっちでもいいのかな。おまけというか、ついてきたものというか。もちろん、それでよりコミュニケーションが取れるからツールとしての役割もあるのですが。外国語を習得することが差し迫った状況でないところに住んでいるから言えるのだろうけど。

もちろん、私もうまく英語で話せなくて「全然ダメだなあ」と思うことはありますが、そこで「なにくそ」と思うのが一番の動機じゃないんです(どうも私はこの「なにくそ」精神が求められるのが嫌いです。I HATE it!)。例えば、エンジニアの人が機械を見て「へえ、こうなってるんだ」とか「美しいなあ」とか思うこと、自分でもその知識や技術を利用して何か作ったり、模倣してみたり、別の機械を見て仕組みがわかったり、仕組みがわかるから修理してあげたり、教えたりすることができる。でも、もっと美しく、もっと機能的にできる気もするなあ、と思いながらだったりする。そういうことをやってるのが楽しいから、「そんなのすっ飛ばしてダウンロードすればいいのに」と言われると「え!楽しい部分なくなるじゃない」と思って悲しい。つまらない。まあ、私を悲しませるためじゃなくて、英語の習得にウンウン唸っている人が多いから、しんどいことはやめたらいいんですよ、という「朗報!」なんだと思いますが。

わたしたちは、自分が「できない」と思ってるからできないことが多い。そこをちょっと崩して、想像力をはたらかせて英語に触れてもらうことは、「ダウンロード」できるようになることとそう遠くない気もする。昨日は星ヶ丘でのESSで、新谷さんのお孫さん(11歳、インド在住)が描いた英語の詩をみんなと読んだけど、皆さん「日本語にする」んじゃなくて想像できていてとってもよかったし、そういうことかな?むん。。。

しかし「想像できれば実現できる」とはうまく言ったもので…「できない」と思ってることって想像もうまくできないんだな。否定的な方向に簡単に攫われてしまったり。想像力を豊かにすること、美しい世界を思い描くことは、たくさんのいいことにつながってる気がします。

前に「いいな」と思った柴田元幸さんの言葉、探してきました。
「考えに考えて自分で補ってぴったりの訳語が湧いてくる(中略)それ語学を学ぶ一番いい学び方だと思う。辞書から覚えるのではなく文脈から悟る」(coyote vol.48)

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いちごと豆腐のティラミスが食べたくて〜

Thoughts at the end of the month2019.03.31

You can realize everything you can imagine.
いろんな人を介して何回か出会う言葉。
「思ったようにしかならない」という言い方をするとネガティブな感じもするけど、突き放しつつ希望もあって私は好きです。

最近しきりに周りで「自己肯定」「自信をもつこと」「自分を愛すること」の話を聞きます。そんな話いつの時代もあるんだろうけど。I’m basically a happy person, but I can be negative so easily, too. アメリカの映画を見ていると、鏡の自分に向かって “You’re great” などと話しかける場面をちょいちょい見かけますが、みんなどうやってるのかな。こんな具体的な方法じゃなく、それぞれに「あたし、良いわ!」と思うときがありそうですね。You can’t love someone unless you love yourself. やっぱり気づけば人の目を気にしてたり、遠慮してたりするのでこれもクセのようなものなんでしょうか。

英語の方が、ずどんとまっすぐ届く時がある気がするのはなぜでしょうね。日本語で同じようなことを言いたかったら、視点を変えるか、なんというか周りから攻めた方がずどんと来そうですね。

あと最近ちょっと芯に来てるのは、ハマダさんからの「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」。私はこないだ初めて見て、まだ理解が浅いのですが「片割れを探すんじゃなくって、自分で完全体」というところにたどり着きたい気持ちです、まだ片割れ探しがちだから。わたしは何回か「安定感がある」とか「満たされてる」というような形容をされたことがあって、ある意味最高の言葉だけど、余力がないとか入る余地がない感じなのかな〜と思わないでもない。割と「自分だけ」で居ることも大事なので、そう思われても仕方ないか…。そんなこと考えなくても、それぞれが自立して、高め合えるといいなと思います。だんだん男とか女とかなくなっていくのでしょうか。とはいえ、子は可愛いなあと思うので、産まへんのかなあと考えると切ない。自分が産んだ産まない言うてる時代ではないのも薄々わかるけど、わたしも生物だからな。いとも簡単に破壊されてしまう。無い物ねだりかな。早くその辺の概念を飛び越えていきたいな。

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17年ぶりに奈々ちゃんと会って、馬見丘陵公園散歩。いい時間やったな。

Renew your settings2019.03.22

I’ve been thinking about how I can work for people without doing what I feel wrong. I’m still on the journey, but through my regular lessons :
– motivate/inspire people who are learning from me
– make them feel happy, relieved and safe, not intimidated
– get them feel closer to English or learning languages

Overall, I don’t fit into a style motivating them by giving some opportunity to perform something. Of course, I would love to support them if they want to, but I don’t organize or plan it. I’m gonna say, “That’s not my department”.

This doesn’t mean I’m not going to be an exhibitor. It feels like there is a way that I can show something in my way, asking for the help of people around me or collaborating with them.

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“Queer Eye” on Netflix really cheers me up…  Many people around me are also so nice and always cheer me up when I meet them, but it makes me realize that the genuine energy of accepting, approving and making people move forward is such a great thing.

What a lazy person like me can do2019.03.17

When I see Instagram posts of people around me or just see people doing and truly enjoying something, I feel how I’m lazy, how I’m not making an effort.

I don’t have any motivation to make something or perform something in front of people, maybe because studying languages has been something I’ve done by myself and enjoyed by myself. Maybe that’s why I’m attracted to people who create amazing works and show them and move people’s heart, and I started to offer my skill to help those people.
Sometimes when some students suggest or invite me to do something together (ex. performing something as ESS or do role-playing conversation practice), my first mental reaction is “Oh..kay..”. I feel so bad about that and have been thinking about that.

But that doesn’t mean I have to try harder to be “creative” in that way… I guess. There have to be different things I can show or do, in a way I feel confident.

I don’t know if I’m being too stubborn to prevent myself to be a successful or better person, but I want to believe that we don’t have to do something we don’t feel like doing. Sometimes I don’t like people talking about the beauty of trying hard. Yeah, you can achieve something if you try hard. Of course. But it might lead you to somewhere you didn’t truly want to go.

Hmm. It feels like I’m talking negative things, but it’s okay. It is said that after Spring Equinox Day (wow, it sounds too unfamiliar in English), this stagnant or entangled air will clear up, so until then, this, is important.

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Let’s just try that2019.03.16

I have to admit that I’m at home more than before.
Luckily, English lesson work for good friends take me out somewhere outside, and I feel like it’s a good balance. Sometimes I feel that I have to do something (meaningful),  but regardless whether it is meaningful or not, it’s okay to do what I feel like doing – I’m trying to think like that.

There was a rather big box in a corridor in my house, and I had assumed it was my father’s, but when I opened it not being able to wait for him to get rid of it, I found tons of papers from my university.  I was kind of amazed how hard I’d studied (compared to now). And somehow it reassured me that it’s okay to do what I want to or can do even if I feel like things are stagnant or I’ve missed many things going around me.

Let’s just try that and see where it’s going. Things happen when it’s meant to happen.

Just for practicing writing2019.03.12

My dad asked me not to write about my family, but as I didn’t think I could promise that, so I didn’t say yes. Now I have a good reason to write something in English. Not only for that, I simply need to output my English.

I have never “studied abroad” or lived outside of Japan for more than 3 months and I can understand a good amount of English spoken in radio, movies or dramas, and can speak English to some extent. It feels like my listening/speaking skills got better since I started watching TV dramas constantly, but it’s true that I’ve studied English for more than 20 years, and that includes all those school years, so I can’t deny the importance of studying grammars or reading or writing.

In that sense, it is challenging for me to introduce grammar or guide them to get closer to English without making them feel like they’re “studying”. After all, I think it depends on how much I can motivate them or make them get interested in English. As I wrote before, simply showing my love for learning languages might help the most, and I need to remember it more often as I tend to see and follow what they want to do.

Well, this text sounds like nothing but some meaningless things. I hope I write more good stuff next time!

Random Notes in March2019.03.09

3月に入って、少しずつ動きが出てきました。
体の方は急に毒出しというか、今まで軽かった花粉症の重篤化(まだ認めたくない)と数年ぶりの偏頭痛(本当に何もできなくなるので辛い)のダブルパンチで参ったけど。

一つはact。
次の展示に向けて、何ができるか。
全員がそれぞれの得意なことを活かしながら、おもしろい世界が作れるような気がしています。actでやるからこそ、自分の何かを殺して「嫌なこと」をせずにできると言えたらいいな。

翻訳で一つ大きな自信というか、続けていいよ、と言われたようなこと。
詩人のウチダゴウさんが、私と訳した詩をスコットランドで(しかも大学院の授業で)読んで、とてもいい時間になったと話が聞けて、ほんとうに安堵しました。もちろんゴウさんの詩の力、朗読の力、Willのチェックのおかげもあるので、私の英訳が負うのはその一部なんだけど、訳したものが(しかも詩)ちゃんと届いたというのは、これ以上ない誉れ。約2年前、思い切って22篇の詩の訳を投げてくれたことに感謝です。一つ拠りどころはできたけど、それでも「こっちの方がいいんじゃない?」とより良い表現を出される可能性はあるだろうな、とも思う。甘んじず、追い求めていく力をいただきました。

前に書いた『「!」と思ったこと』とは何であったか…記憶が遠い。
近藤聡乃さんと柴田元幸さんが二人とも「外国語と想像力」についての話をしていて、思ったんだよ。。私たちは「キャッチした情報」と「想像」と、両方あって「理解」していて、それがESSや翻訳、ひいては私が表現したいことに通じている気がしたような。

ESSも、どうするのが一番いいのかずっと模索。
「ルール」や「勉強の仕方」も要素ではあるけど、それぞれに違う興味を次に繋げること、おもしろさを感じてもらえることが続ける動機になるのかな。私の「外国語を学ぶこと」に対する愛を見せることか、と、これもゴウさんとの会話から。「正解」「決まり」があるのがよかったり悪かったり。「勉強」のイメージとの闘い。

Adjusting2019.02.12

大和高田でまた暮らし始めて実質的に約2ヶ月。
少しずつ探りながら生活を組み立てている感じです。
時折臭ってくる謎のドブ臭と父親のタバコ臭、それに彼の朝のトイレ占領時間のせいかお腹の調子が微妙なこと以外は概ね良好です…

(市内で)離れて暮らす母親と妹がデフォルトで人生に不満気なのがどうしたものか、と思ったり。自らの動きじゃないと良くないと思うので、わたしは陰ながら祈って、その動きを応援するしかないわけですが、せっかくの人生なのでもっと肯定できたらいいのになと思います。わたしは彼女たちが居てくれて幸せです、と伝えておきたいのだけど、それは色々とうまくいっているから悠長なことを言えるのだとか思われるのでしょうか。

割と幼い頃から「ああ〜 今日も暖かい部屋でテレビ見て美味しいご飯が食べられて幸せだなあ」と思っていた(たまに言っていた)のを記憶しているので、「幸せの沸点」は低いようにも思われるけど、実はこれ、それ以外のことにしんどさや辛さがない方が感じられるのかもしれません。そこを守るために、他を整える。意識的にしてきたというよりは、「いやだ!」と思うことからはまあまあ全速力で逃げるたちなので… それで迷惑もかけてきたけど、そんな私がそこに居たらもっと迷惑かけてたと思うので、それで良かったのだと思います。

「好きなものを仕事に」とかではなくて、仕事なり生活なりの環境を少しずつ(時には大きく)調整して自分を幸せにしていけたらね。わたし自身も、なんでこんなに、というぐらい周りの人たちの徳が高くて、時折甘んじてるのでは、とピリリとするので、なんとか自分も応えていけたらなと思います。ありがとうございますよ、、

秋〜冬に携わってきた翻訳が形になって届いてきました。Translationのページに少しずつ実績を載せております〜

あ、翻訳・語学学習と「想像すること」について「!」と思ったことがあったんだった。次回書きたい…

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「!」と思った sewing table coffee。今月のESSの後で。

First month of 20192019.01.28

I’ve been thinking about writing something, but can’t still spare time for it.
書くことがぼんやりとしたまま過ぎ去る1月。ぼんやりしたままの文章をどうぞ。

Although we sometimes feel we’ve done nothing, we should think back well. Yes, we did many things. そうなのだ。できてないことに目がいきがちですが、あれもこれも、結構色々しているのですよ!It’s not so good to take much time for thinking back, though. Just sometimes, to get some energy to move forward.

What I’ve learned/been reminded recently is that we don’t have to be afraid of running out of something. It is a good thing to cherish or use things carefully, but some people have told me that energy is limitless. Even though it’s still a vague concept, I get that. When we’re afraid of losing something, we hesitate to give it. 有限で、なくなってしまうことを不安に感じてしまうと人に与えられない、だから「自分にはたくさんないから」って気持ちは持たなくていいようにできたらいいのかー。いい考えやなー!と思いました。
Also, it’s good to remember that life is all about resonating each other.
Let’s not be afraid of losing or being hurt, and resonate with open-minded heart. と自分に唱える。でもこれは別に自分が我慢したりしたくないことをしたり犠牲になることとは全然違う。

Soon after I decided to visit Florence this year, the girl who I met in Exeter and put me up when I visited Aosta followed me on Instagram. She’s now in Bologna.  We might be able to meet again.

We suppose to meet people when it’s necessary, and things happen when it’s meant to be.
There’s no proof or reason to tell other than what has happened in my life.

Good to feel fresh2019.01.02

It’s been about a month since I started to live in this house. 今年はこの家やここを拠点にした暮らしや仕事を整えつつ、レッスンや翻訳に引き続きしっかり注力するのをベースに。

災害など自分ではどうしようもないことにせよ、引越しや旅などにせよ、昨年も年始には考えていなかったこともあったので、今年もそういう「unexpecting events」とも上手く付き合いながらいけたらなと思います。

この10年は特に環境の変化が激しかったけど、少し身の周りを整えて、白味噌のお雑煮(お餅は取り出してきな粉で)を食べ、三輪さんにお参りしたら、後は適当にする元旦が迎えられると落ち着く。

おみくじには「欲を出さない」「過ぎたるは及ばざるがごとし」のオンパレードで思わず笑ってしまいました。「無欲」ではなくて(そう考えだすと「欲とは…」ってなるし)「出し過ぎない」ことを心の隅に過ごします。。旅は「よろし」だったので、また。西が良いらしいので、何となく今年(こそ)は日本の西の方やヨーロッパかもなとぼんやり。

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When we start to miss something2018.12.04

12月3日。6:16ユージーン発のサンフランシスコ行きに乗るべく、4:45に家を出る。ユージーンの空港は小さいとはいえ、間に合うかのドキドキのせいでNancieとMarkに十分に感謝を伝えきれなかった気がする。手紙でもメールでも伝えられる手段はあるけど、やっぱり身体を使って、面と向かって、わたしの声で、というのはそれはその力があるよなあと今回の旅で改めて思ったので、伝えきれなかったことは心に残る。

サンフランシスコの空港で、やっと「あ〜帰国か〜」と思う余裕が出てきました。とはいえ、帰国したら日常に戻る、というものではなく、こちらでのことを次につなげたり、肥やしにしたりするのが帰国後の生活なので、寂しい気持ちもあるけど、しぼむよりふくらんで暖かい。

高田での生活を整える。
レッスンにこちらでの生活を還元する。
翻訳もひとつひとつ真摯に。
自分の英語でのコミュニケーションも振り返りつつ磨く。
日本とスプリングフィールドと、何かつなげられるか探る。

予定通り、思い通りにいかないこともあるだろうけど、できることを続ける、というのは二人から学んだことの一つなので、心にとどめて毎日過ごしたいなと思います。

帰国したら中二日ほどで東京なので、ふわふわしてますが。。

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サンフランシスコ。カラッと晴れてますな〜 清々しい…

One of the future possibilities – 22018.11.27

わたしに何ができるかな〜、何がしたいかな〜と、これからの展望、について考えています。

大きく動くのは難しい(苦手)なので、周りのひとで、SpringfieldやEugeneに興味がある人がいたら手助けをする、というところからでしょうか。その人が何に興味があるか、どんなことがしたいかで提案できることも少しずつ違う気がするし、パッケージを作って見せるのはどうも苦手だし…Springfieldにしても、高田(や奈良、日本)のことについても両方知って、双方に伝えていけるといいなあ〜

昨日は、車で1時間ほどのFlorenceという港町あたりへ。
お昼を食べるのに入ったお店「Trump臭がする!寒いからとりあえず入りたかったんや…」とNancieが言うて後悔をにじませながらピリピリするし、最初は客が私たちしかいなくてがらんとしていたので、料理もマっズイのがでるんじゃ(わたしはそこが一番不安)…と不安になったけど、対応してくれたスタッフの女の子は「つくり愛想」じゃなくて「いい子」って感じだったし、料理もおいしかったし、ちょっとしたらどんどん人も入って賑やかになったので安心…。
それでもNancieは「スタッフの子はいい子だけど、客も店もTrump支持者っぽい!何かキタナイし!」と言うていて(お店には消防署をテーマにしていて各地のロゴやらが壁いっぱいにあるのですが、消防や警察といったfirst responderをテーマにしてるのも、権力支持=Trump支持という印象みたい。わからなくはないけど。)、両者の間の壁の厚さを感じました…

帰り道、Markが小さい時に寄ってたという「Gingerbread Village」というお店に寄る。途中、別のお店になっていたみたいだけど、最近また復活した模様。お店の雰囲気もわたしが「たまらん」ってなる「古いファミレス感」だし、名物のgingerbreadがおいしかった〜〜。今年71歳のMarkが子どもの頃行ってたお店や食べてたものを、その思い出を聞きながら食べるのが一番好きやね、やっぱり。
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菜食の方がいいとか、オーガニックがいいとか、アートの好みとか、掃除や洗濯や生活の違いとか、自分の普段の「好み」や「信条」にあてはまるものばかりではなくても、その辺を傍にやってると、「意外といいな」と思うことも見えてくるので、その辺の「雑さ」は残しておきたいな〜と思います。(ただただそれを貫くのが面倒なのもあるけど)

もちろん、人道的に反する政策や出来事は許されるものではないし、人間の勝手な発展のために自然が破壊されるのは避けていきたいけど、出自や思想が壁になることもあるので、何も知らず気にせずオープンでもありたいですねえ。

間を取り持つのも、「アメリカと日本」とか「Springfieldと大和高田」とか思ったりもするけど、ただただおおらかに人と人や人と土地がforeignやallienでなくなる一助になれば一番だな〜

One of the future possibilities2018.11.25

私が今滞在するSpringfieldは、数年前までメインストリートにはストリップクラブが並ぶ荒んだ街だったらしい。隣町Eugeneからは「あぶないから川向こうには行くな」と言われるぐらいのイメージがあったとか。今はそんなの俄かには信じがたいんだけど、確かに来るたびにお店が増えてたり、Eugeneとの行き来などハード面でも毎回新しいところがあるのです。

そして、私がお世話になっているNancieとMarkの家も買った当初(5年ほど前)は廃墟だったそう。私が初めて来た時にはもう快適に滞在できるぐらい改装されてたけど、彼らを紹介してくれたいこさんはその状態も見ていて、話には聞いていました。今も離れなど改装は続いていて、その「過程」を日々見ていると「進み続けること」の大変さと大切さを身を以て感じます。ただ単に物理的に改装する以外にも、一緒に進める人との人間関係も大波小波乗り越えてきたのも聞いて、感嘆のため息しか出ない。

町としても、個人としても、同じですねえ。わたしはわりと「やる前にあきらめる」性質があってだめだあ、と思ったりするけど、いま周りにいる素晴らしいひとたちを見ると「ああ、やりたいことで、できそうなことをやってきたのか」と、思わせてもらえるし、そっちサイドで思っていきたいな…

Naniceとしては、今後このSpringfieldに外から人を呼びたいらしくて、わたしもここはとても好きだから、ぜひ力になりたいなと思うのです。街として再生してきた点も、見たいという人がいたら連れて来たい。で、わたしの「しごと」になればもっとよい。
具体的に言えば、周りの人で単に旅行でも、作家さんの滞在制作でも、街として視察に来たい人でも(可能なら地元の大和高田と姉妹都市にしたいけど)したい人がいたら紹介・アテンドしたいな、というところ。

まあ、土壌や文化が違うので、街の再生としてそのまま真似をしてもだめだと思うし、芸術としても、互いにどれだけ受け入れられるのかなというところは謎。わたし個人の趣味もあるけど、こちらで受け入れられている作品はより何か「主張のあるもの」なきがする。あとはなんとなく「土産物屋で売ってそう」な感というか(失礼)…もちろん全てがそうではないし(マーケットでも気になる作品はあった)、わたしもあまり探そうとしてないのですが。やっぱり個人的な趣味かな、日本でもこういうの好きな人もいるよな〜と思うし。

どういう形でできるかわからないけど、繋がるものは繋がるし、繋がらないものは繋がらないと思うので、いままでどおり、できそうなことから進めてみましょうねえ。

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Springfield, OR – Week 1.52018.11.20

I feel like I keep saying the same thing, but after all, it’s an accumulation of each day, each conversation and each step I took.

“cider” がアルコール飲料だったことをすっかり忘れて頼んだ時に「まあいいか」とやり過ごしてもいいし、「すんません、これアルコールですよね…ちょっと分かってなくて〜」と言ってもいい。今日の私は後者で、まあ私の風貌と英語の中途半端さおかげか「あら〜、じゃあ返金するわ〜」と言うてもらえたり。

一番感じるのは、「ハッキリおおきなこえで」が大事ということ。
なにそれ、と思われるかもしれないけど、これだけで打率が数割あがるのです。

あとは、うまく伝わらなかった時の相手の困惑顔にめげないこと。
今日(また)Smith Family Bookstoreに行ってお店の人と話して、困惑顔って「ちゃんと聞いてくれている証拠」だと改めて感じたのですよね。
「短いエッセイが好きだったら何がおすすめですかね…」とわりと途方もない質問をなげかけるなど。案の定「う〜〜ん」とならせてしまったので「また来ます、そのときにまた!」と言うて帰って来ました。まあ答えは得られなくても良くて、また行く理由を作った感。
Lydia Davisの欲しかった短編集も古本でゲットできて嬉しい。

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去年10月に滞在した時に、フットボールの試合観戦に1泊だけユタ州から来た若いカップルがいました。私が泊まっていたNancieたちの家とは違う物件に泊まったけど、翌朝出発する時にわざわざ挨拶しに来られたのでした。私もその時その場にいて、そういう時さらりと挨拶するだけの人もいれば「聞く」姿勢の人もいて、SpencerとAshleyのカップルは後者でした。私も彼らも「またここに来たい」という話で「じゃあまた来年やね 笑」と言ってたけど、今年私は11月だしあまり期待していませんでした。が、今回はなんと11/17 オレゴン大学VSアリゾナ州立大学の試合のタイミングで泊まりに(こんかいは同じお家)!
わたし、彼らの名前は覚えてなかったけど、チェックインのときに気こえてきたMarkとの会話から「もしや…」と思って、彼らが出かけた後に聞いてみたらやっぱり!「うおお!」となる。
翌日朝、チェックアウトのときに「覚えてないかもですが…」と切り出したけど覚えてくれてた!「We’re on the same schedule!」というSpencerのセリフがもうその日のキーフレーズです。ひとしきりNancieたちと話したり、仔犬たちと戯れたりして、なんというかちゃんとコミュニケーションをとっていかれるあたりが「善い人」感ガンガン出ている(身なりとか目の澄み具合からもガンガン出てる)。別れ際に二人ともハグまでしてくれて、「ユタ州来たら言ってよ」「日本来たらぜひね」と言い合う。連絡先を交換し合うまで踏み込まないのですが、わたしの中で「これは本気でいきたいぞ」と思い始める。もちろん、泊めてもらおうだなんて思わないけど「彼らに会う」というミッションがあるだけで動機は十分なのです。それをきっかけに未開の地「ユタ州」に行けるのですから。
まあ、結局今の時点では連絡の取りようがないし、彼らがどこまで本気で言ってくれてるかもわからないけど、Nancieたちにちょっと話してみたりはしていて(NancieはAirbnb上でコンタクトが取れる)、もう少し方法を探ってみます。彼らが日本に来るのが何十年先でもいいので、来たら言ってほしい。

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隣の部屋には、今週(11/19)からこの辺りで働き始めて家を探し中のMelanieがしばらく泊まっている。ルイジアナ州生まれで長らくアリゾナ州フェニックスで法律関係の仕事をしていたそうで(なんとなく南の方のイントネーションを感じる)、もう孫もいるらしいけど全然見えない…オープンで人当たりが良くて、家の中で出会うと少しおしゃべりしてくれたり。

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もちろんNancieやMarkとの会話も含め、こんな感じで小さく一喜一憂、刻んでゆこうと自分と確認し合う日々。

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わたしが到着した時に滞在していたTonyが教えてくれたNoisette Cafe。良い!

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妹がまた家を出て行くよう。わたしが戻ってきてプライバシー不足に陥ったのかな、わたしが実家改革に鼻息荒くしすぎたのかな、とか思うとちょっと寂しいけど(何より連絡が帰ってこないのが悲しい…)、わたしも散々好きに動いてきたのだから好きに動いてくれ、とも思います。

Springfield, OR : Week 12018.11.17

Third time yet or already? It feels strange when I think about me visiting here ever year these tree yeas, and I feel I’m still a stranger when I’m at a local cafe watching people who seem to often see each other (it’s a great thing, thougj), but I’m so grateful and happy that I can meet the same people and vist same place, or see how the town has changed with my eyes.

もう3回なのかまだ3回なのか、3年連続でこの場所に滞在していることをよくよく考えると不思議な気持ちになるし、数ブロック先のカフェで地元の人たちが待ち合わせするでもなく偶然居合わせているのを見ていると、やっぱりここの人ではない感覚なのだけど(しかしとってもいいなあと思う)、同じ人に会って、同じ場所を訪れたり変化を実際に見られるのはうれしいし、ありがたい。

English-wise, when I feel I can’t communicate well, lack of vocabulary might be one of the resons, but thinking too much or being too shy (or too tired) makes up more of it. That being said, practicing in my head beforehand and trying will help more than just trying without thinking anything. I guess.

英語、もちろん、ああ語彙力や表現力が足らんなあと思うこともあるけど、考えすぎたり恥ずかしがりすぎたり(疲れすぎたり)という方が占める割合としては大きいと思う。とはいえ、行き当たりばったりよりやっぱりちょっと頭でリハーサルして挑んで、、の繰り返しが何より効いてくる。たぶん。

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