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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

What is your gut feeling?2025.04.27

数週間前、gut feelingってある?って聞かれたとき、「わかるけど私の場合すぐ思考してしまう」と答えたのですが、その後、ああこの頭が追いつかないけどここまできた彼との関係はgut feelingだなと思ったのでした。

物事はどう捉えるかでしかないのはわかっていながらも、どうしても不安を選ぼうとしてしまう思考に抗えなくて、自分の感情の向きがテレビのザッピングのように変わるので「もうどの感情を感じたらいいのかわからない」と吐露した日がありました。そのとき「What is your gut feeling?」と聞かれたのですが、気持ちがスーッと静かに穏やかになってああ、ここだなとわかったその瞬間は宝石だなと思います。テクマクマヤコンのようにコンパクトの中に入れて困ったらパカっと開けたい。

「最悪のパターン」を考えて気持ちの準備をしておかないと、ってなっているんだよなあと思って数日後、YouTubeから見つけたポッドキャストで俳優のWill Poulterくん(彼は見ると和む俳優さんの一人ですね)が自身のOCDなどについて語っている回を聞いていると、ホストの女性が「最悪のパターンを考えてそれをずっと脳内再生してしまったり」と話していました。intrusive thoughtsと呼んでいて、OCDの一つなんだってね(強迫観念でない侵入思考ならOCDでない人も8-9割経験する、とも書かれているので一概には言えませんが)。強迫観念のしくみを調べると「直感への疑念」とか「疑いへの執着」とか「誤った信念のパターン」とか、なんかあてはまるかも(苦笑)という事項がちらほら…『あいまいな部分が残っていると不安となり、耐えられない』ですって(笑)

何事に対しても、というわけではないけど、ちょっとそのきらいはあるかもしれない。そして時々それが過剰になったり。

何が言いたいのかというと、その話を聞いてちょっと気が楽になったぜ、という話。その「不安材料」をどうにかしないと!というのがしんどかったので、それただの過剰な思考やで、と改めて言われて「気にしない」がしやすくなったというか。

気にしない、と言えば、男性諸君は何も覚えていない(何もってことはないけど)エピソードが周りからわんさか出てきて、もうこれは「おもろい」レベルになったので気にならなくなりました。

Anyways!

The White Lotus Season 2のポーシャの写真を美容師さんに見せて、ブリーチ髪にパーマをあててからちょうど2ヶ月。「なんでこんなことに?笑」と思うほど怒涛でしたが、楽しかったなー。以前住んでいたぶりに一番大阪に居た期間で、その良さを改めて感じたり。多分自分一人では行かなかった・できなかった初めてのことも経験できたり、精神的にも色々学ばせてもらったり。

もちろんこれからも関係は続くのですが、彼が一時帰国に向けて発った今日、一つのフェーズの区切りかなという気持ちです。

What Matters2025.04.22

普段、不足や問題を見ていない者にとって、それを見る時はチャンスなのであって。

「ほんとうに自分が欲しいものはなにか」を知るチャンス。

自分に自信(?)がない物事ほど、外側(人の言動やできごと)に重きを置いてしまうんだなあと実感しています。ある程度(根拠はなくても)自信や確信があることや、ただただ自分がやりたいから・楽しいからしていることって、外側は適度にスルーしてたりするな、ということも気づく。

今のわたしにとって、子どもを産まないかもしれないということは自分の意思と関係なく身体的に差し迫った事項なので、どうしてもそこが外側にも現れてくる(そう受け取ってしまう)のだろうなあと思います。産みたいか、産みたくないか2択です!と言われたら産みたい、ものの、産まなかったとしても、それに一緒に寄り添ってくれるパートナーがいれば全然それでよいのです。ただそこで、気持ちが動く出来事があったときに「産まなかったことで傷つくかもしれない自分」にフォーカスするよりは、「産んだ自分」「産まなかったけどそれでパートナーと全然ハッピーな自分」がどういう状態・感情・体験をしているのかを知るチャンスと捉えたく。もうその時点で、産むか産まないかは問題ではなく。

ていうかそんなごちゃごちゃ考えてない人は、産む産まないどちらにせよさっさと望みを叶えているんですが。まあでも「悩み」として持ってしまって、スルーするのが難しい自分に気づいたら、そこから放たれるチャンスだっ!とすると楽かな。。その「悩み」が解決したらどう感じるのか、どういうふうに自分を見ることを許すのか。そこを解いてあげられたら、外側はコントロールする必要もなく勝手に良いように変わる、というところまで信じて見つめたいな。

この間「どうしたら英語が上手くなってる」と感じられるか?と言う話を生徒さんとしたけど、それも同じなんだよな、と思います。気にしすぎずに楽しむのが一番。コツやら技やら世に溢れる「やり方」は、そのためのツールです。どうすれば良いか?を気にしすぎずに楽しめるなら、なんだっていいんです。

None of that Matters2025.04.22

前回のエントリーから1ヶ月以上経ってたなんて!

Rは1週間後オーストラリアに(一旦)帰ることになっている。なんていうことも、前回書いていた時はまだ分からなかったのだなあと読み返して思います。数回anxiety meltdownを起こしたものの(何度も同じ轍を踏みかける)、どうにか「どうにかしようとする」から「今の幸せにひたる」に戻りつつ過ごしております。それも彼の変わらぬ態度があるから、っておいおいまた外側を根拠にしているね。

そもそも、他のことは順調順調、ああなんて幸せなんだ!まあなんとかなる!と簡単に思ってしまえるのに、恋愛に関しては簡単に不安になる自分に気づいたり。(たまたまメッセージをやり取りしていたTさんに「終わらせたくないって思ったり、不安になるのは自然でヘルシーなこと」と言われてそれもそうだね、となった)

昨日も「サイキックの人が言うには、自分は2人娘ができるらしい!(ニコニコ!)でもしばらくはまだいらんけど(ガハハ)」と無邪気にいう彼を見て、もやっとする自分がいたり。でも突き詰めると、要は子供ができようができまいが、どんな状況であろうが、好き!一緒にいたいと思われたい、と言う無条件の愛的なところでした。で、それを求めるのじゃなくて、それを得たら自分はどう感じるのか、その状況が今ここにあるとしたら、私はどうあるのか、てことですよね。その状態を得るのに外側の条件をつけているのはわたしであって。なんで私はその状態を得られない(可哀想なわたし!)と思ってんのか。外側の条件を自分より上に置いている、ということなんだろうね。

いまだに「なんだこれ、なんで私はこの人とこんなことに?」と可笑しかったりもするのですが、多分思考をシャットアウトしてgut feelingに従った結果だと思います。だからこそ、思考や不安やでmess upしたくないのですよね。でもどう思っているかは正直に話しておきたいな、と言う気持ちもある。それでどうにかしたい、とか、じゃあどうする?と言うよりは、それを超えたところで話ができる気がするからかな。単に全部話したら気が楽になるからかもしれないけど。

先日久々にゆきんこさんのセッションを受けて、自分はどんな「絵に描いた餅」を描いているか、からどんな思い込みをしているのかが見える、ということや、その日の悩みやらを次の日に持ち越さない、と言うお話をして、何かがほどける感覚がありました。単純にもったいないよね、と思うし、悩むならそれすら楽しんでる、ぐらいで行くのだ。

さっきも、あー私はこんなことを求めているのかーーなどと気づいていた時に、none of that mattersと言う想いが同時進行で出てきて。仕事でもなんでも、自分が楽しんでdevoteしていれば、相手や周りの反応も意見も問題ではなくて(「問題」にするのも自分であって)。表情が一瞬曇っても「ま、大丈夫。大したことじゃない」とくるっと向き直すダフネ(The White Lotus Season 2)をまた思い出すのでした。