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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

There should be nothing to be afraid of2021.06.13

なんやかんやしていたら前回の日記からちょうど1ヶ月になってしまいました。ESSのインスタアカウントでちょこちょこ更新してるからかな…THE PINE PAPERの5号もリリースしたし、そんなにいっぱいアウトプットできませんよね。

「人と比べなくても大丈夫」「(完璧に見えても)みんなそれぞれ色々あるのよ」と頭ではわかっていたつもりでも、実際言ってもらって勝手に涙が出てきたので、やっぱりそういう部分はあったみたい。どう転んでも大丈夫だし、起こることはどうしたって起こるもの、自分で自分をアンハッピーにしたり縛る必要なんて1ミリもないのである。

いまのわたしは「過去の積み重ね」ではなく「未来からやってきている」という話や(TENETもっかい見たいな〜)、肉体のわたしは木で言う「葉っぱの1枚」に過ぎない、という話はあたらしい視点を与えてくれそうです。目に見えない応援団がみんな一人ひとりについていて、サインやらを送ってくれたり全力でわたしのことが大好きらしい。やる・やらない、どっちも正解。東京の映像翻訳の会社に受かったときに転職するか迷ったわたしに「行く方でも行かない方でもどっちでも押す。どっちに押して欲しいの?」と言ってくれた大学時代の友人の言葉を思い出しました。

県庁を辞めてなかったら…とか、あのときのあれがなかったら…と思うことは多々あるけど、「あのときのあれ」がなくても結局また「何か」があって「いまのわたし」にたどり着いているのでは、と思ったりもします。

「え、海外で生活したことないのに英語できるんですか?」の「英語できる」に一瞬怯むけど、「わからないこともあるし、間違えるけど、だいたい言いたいことは言えるし、突然声をかけられてもわかるぐらいにはなれますよ」と言ったら「勇気出る〜!」と言ってもらえたのでよかったです。荒い解像度に嫌にならずに、続けてたら解像度上がってくる面白さを感じてもらえたらいいのですが。わたしもだんだん「できませんけど?」みたいに開き直っている。わたしは明確な目標などないので、目標・目的がないことはやらない理由にならないんだけど、それだとモチベーションあんまり上がらないみたい。リフレッシュ、ぐらいの動機でいいんだけどな、ギターを爪弾く、一品つくる、数学の問題を解く、散歩をする、一人バスケをする、そんな感じで。

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pet de nonneさんのキャロットケーキ。今日はcordさんのツナメルトといい、こちらといい、hit the spot の連続で I’m very satisfied です。ちょっとここのところspot に hit しないことが続いたので最高に幸せ。この hit the spot だって、5年前にアメリカへ行って初めて知って、少しずつわたしの言葉になってきたんだもの、それでいいのよ。

Wind is Blowing2021.05.13

珍しく雨の誕生日でした。そして今日は雨予報だったのに風が強くて晴れてきた。今年はお天気前倒し気味なので、もうすぐ梅雨なのかしら。。

牡牛座新月の誕生日、脳波測定とチャクラオーラ 測定をして脳サプリを体験するなど、おもしろい日になりました。先月ふと思い立って京都にあるマイさんのアトリエにお邪魔した時に、教えてくださったそのイベントが誕生日だったので、よくわかんないけど面白そうだ、と思って一緒に参加させてもらったのでした。

結果、わたしの脳みそは「眠い」と言うておりました。寝られてるつもりだったんだけどな〜。ここのところ「詰んだ」感じがするのはそのせいかしら。チャクラオーラは全体的にえらい出ていたので(測れるんだ、っていう驚き)、そのエネルギー活かしたいです… アメリカ発のbranという脳サプリ、お試しもらったのでとりあえず飲んでみますよ。

詰んだ感解消のために、とりあえず動いてみたり買ってみたりしてるので(↑のは無料お試しだけど)、なんだか消費が激しい+翻訳支払い待ちで懐がさみしい…今月は後半にレッスンや翻訳がかたまってるからだよね、、と励ましています。興味の惹かれるところには行かなきゃ、ってちょっと焦りもある気がする。このままでいいのかな?と見つめ直すタイミングも大事なので、そういう時期ということで。

見つめ直しといえば、この間、大野食材店のしずかさんと、この10年での引越し回数、実家ぐらしと一人ぐらしについて話していて、「もうよっぽどのことがなかったら動かない、と思っていたのに長くて2〜3年で引っ越してる」わたしたち。モヤモヤはこれかもしれません。実家も一つの拠点として、徒歩で知り合いに会ったり馴染みのお店に行ったりできる都会に小さい部屋が欲しいかも…固定費が発生することへの考え方改革もせにゃいかんですが。

何はともあれ、「おめでとう」の一言が何よりうれしい。
今の幸せに感謝しつつ、
怖がりすぎず、焦らず、わくわくを大事に動いていきたい所存です。

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この間初めて行った秋篠寺。静かでよかったな。

tbh2021.04.16

To be honest, である。

Of course I like learning English and supporting people who want to learn English, but half of the reason I do ESS is to meet those interesting, lovely, unique and kindhearted people and spend some time with them.

もちろん英語を学ぶことや学びたいという人をサポートするのは好きですが、ESSをやっている理由の半分は、おもしろくて、素敵で、ユニークであたたかいみなさんに会って、時間を過ごすためだったりだなあ、と思います。

So, I mean, I don’t say everyone should learn English and making people love English or expressing something with English aren’t my purpose or goal or any of those kind of things. Ultimately, I’d like to be just Yuki, whose one of attributes is English (and/or Japanese), with which I can be a help.

なので、みんなに英語やるのがいいとか、英語を好きになってもらおう、とか英語で何かを表現したい!とか一旗あげたいとかは全くなくって(英語嫌いにならんかったらいいな、とは思うけど)、「ゆきさん」であれたらいいな。英語(と、にほんご)は色々ある私の属性のひとつとして、役立てば。

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昨日も今日も、会った人たちとお話したり笑い合えたりしてよかった。

Plus, one of the happiest moments today was having “pain au chocolat” and coffee on a queen-size bed while watching “Nadiya Bakes” on Netfilx. It fueled me.

Also, what I wish now is someone or somewhere I can speak freely and bluntly about relationships, marriage and having kids. Maybe I need a therapist.

あと、ホテルのクイーンサイズベッドの上で「ナディヤの幸せベーキング」を見ながらクロワッサンとコーヒー、というのはしやわせだ。。indulgentです(ナディヤはこの単語よく使う)。その後の英訳チェックもはかどったしさ。

それと、誰かもしくはどこか、自由に気兼ねなく付き合うとか結婚とか子供とかについて話せる人か場所が欲しいのですが。セラピー行かないとだめかしら。

That Precious Moments2021.04.15

すみやさんの「1日遅れの日記」を読んで、いつ何があるか、死んでしまうか、やっぱりわからんなあ、やりたいことはやっとかんなんなあ、と思ったところで

はて、やりたいこととは

もちろん「行きたいところ」「やりたいこと」はあるけど
あの人やあの人に会うこと、たわいもない話をしてハハと笑うことの尊さ。

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このあいだ、かとさんの展示を見にハマ・ノ・テさんへ行った日も、朝から色んな人に会えてうれしかったもんなあ

そんなこと言いつつ、おばあちゃんまで生きて笑いとばしたいです。

Keep it on, feeling good2021.04.09

今日はpipiki(からだの研究所)の2回目のレッスンでした。

・毎日やること(気持ちよさを感じることが大事)
・(習った動きをやるときに)痛いとか、変な感じとか、からだのどこかが無理をした状態で、「でも練習せんならんから」とやらないこと(歪みが出る)

わたしが英語で言いたいことも似てるんだよな、というか、わたしもそう言っていたいのだよなーと思いました。

からだも考え方もクセがついていて、心地よさや大きな流れで自然にどう動くかを知ること、気がつくこと、気を向けること。何にでも当てはまるな。

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昨日は、さちこさん、ちささん、にっしーさんと伊賀に遠足(せりさんも次回は…!)。グループでお出かけって、久々で楽しい。みなさんおしゃれでかっこよくて、こころは自由で大人で、楽しそうで、いいなってとても思います。そんな人たちが周りにいっぱいいてうれしい。

***

トモさんが少し前に言っていた
「自分」を練習する、いいことば。

Go beyond that guilty thought2021.04.06

Do you feel guilty for not being productive? What is productive anyways?

「生産的」でないことに罪悪感はありますか?てか、「生産的」ってなに。

I found myself still feeling guilty for doing what I want to do, and I thought, why do I feel like that?

やりたいこと(例えば、行きたかったお店にランチに行くとか)をやってるのに時々罪悪感を感じている自分に気づきました。「”仕事もしないで”こんなことを」って思ってしまうのやめたいなー。どこからが仕事でそうでないかが曖昧なので余計ですが、私の場合だと「もっと英語・レッスン・翻訳のために時間を使わねば」guiltが隅っこにあるときが。It’s right, but doesn’t feel right.「仕事」じゃなくて「家事」とか「勉強」とかその人によって色々あると思いますが。

こういう小さい罪悪感のせいで「したいこと」を抑えたり、楽しんだり幸せに思ったりを控えめにしていることって結構あるのかもしれません。

Doing こんなこと is part of my life, and you should be happy doing that if that’s what you want to do. 議論の余地はあるかもしれませんが、I AM productive just being myself から始められたら、巡りが良いように思うのです。

What is がんばる to me2021.03.31

会うと「ああ、がんばろ」と思う人の一人が、画家・アーティストの大岡弘晃さん(おーかさん)。と、今日fangleさんでの久々の個展を見に行って思いました。

もちろん作品のちからや魅せられる部分もあるけど、開いていて屈託ない感じとか、制作やアーティストとしての自分に全力なところが眩しい。SNSでもそうですが、実際に会うとよりそう思います。

そんな人に「また翻訳お願いするね!」って言われたら、やっぱり応えたいなって気持ちがぱあっと。

まだ力不足に感じるところもあるので、がんばらねばーと思うけど、こういう気持ちでお願いしてくれる人に対して、持てる力でお返しするのを続けることが「がんばる」ひとつであるなあと思うのでした。

fangleさんもそうですが、開いて、接してくれる人たちに会うと、自分はまだもっと開けるよなあと感じます。「目立たないように」って姿勢についなりがち。目立たないと、ってことではなくて、「私なんか」的な気持ちの構えがね、あるなーと。その肩の力もうちょっと抜いて行こうなあと思います。

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完全に自己満足だけど、4年前に仙台の展示を一緒に見た妹、2年前に岡山の展示を一緒に見た母を連れていけたのがうれしかったです。でも二人とも誘ったらうれしそうだったからよかった。

ちょっと暑いぐらいだったけど、お天気も良くて、母がずっと気になってたレ・カーセさんのキッシュも食べられて、大変気持ちの良い日。

Studying Foreign Languageについて再び2021.03.17

アニメを見続けて日本語がペラペラになったMattさんと、海外ドラマを見続けて英語がペラペラになったYokoさんのYouTubeトークを見て、わたしはYokoさんほど英語できないけど深くうなずくことばかりでした。

海外に住まずしてペラペラになることは可能。ただ相当な量のインプットは要る。そのためにはやっぱりプロセスが楽しくないと、ですよね。楽しい、というかYokoさんが言ってはったみたいに「へー!」という高揚感。その時間が多ければ多いほど、早い。逆にいうと少なくても進むけど、遅い。

わたしは「続けられること」「続けられるペース」を一番大事にしてるけど、そのペースが習得にも比例していることは学習者に納得してもらっておかないとな、と改めて思いました。どこかで、「習ってるけど全然出ない」と思うときがあっても「まあこのペースだから仕方ない」とか「ま、いっか。楽しいからとりあえず続けよう」と思って乗り越えてもらわねば(「乗り越える」とか言うマインドもすでに良くない気がするので言いたくないけど)。

教える身としては、わたしとレッスンすることで「楽しい!もっとやりたい!」と思って自然と(「努力」「頑張って」とか思わずに)触れる時間が増えるのがいいのですが…

わたしも10歳の時に最初のハマりがきたとはいえ、興味の波はあるし、「イマージョン」というほども浴びてないので「どうやって今ぐらいできるようになったか」と言われると「20年以上続けてるから…」というのが答えです。正直、字幕なしでもまあまあわかるようになったのも、輸入DVD買うぐらい海外ドラマとかにハマったり、Netflixが日本に来て見ることが日常茶飯事になってからです。それまでに基本的なルール(文法)は大体覚えてたからというのも大きい。

基本ルール(Yokoさんのゲームの「コマンド」の例えもとてもわかりやすい)を押さえて、あとは浴びまくるのがほんとにいいんだけど(楽だし)、どんな風にしたら「浴びまくれ」るのか、そこまでできない(したくない?)のならその気持ちを学習者自身に受け止めて(見つめて)もらった上で、どう続けて行けるかを一緒に考えたいです。あとはもう少し「やり方」を具体的に伝えられるといいのだろうな…。ただ伝えてる時点で「そこまではむり(めんどくさい)…」という空気を感じることもあって、わたしも基本的に習い事とか練習とかめんどくさいので「そうですよね〜」って迎合してしまう。

わたし自身は、海外ドラマを見ることやアメリカのトークショーをYouTubeで見るのが一番楽だ(言われなくてもやっちゃう)から、とことんそれをすればいいんだ〜と思うとポジティブな気持ちしかないのですけど。

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生駒にNYCがあったよ。こういう、カフェとかお店とかで自己陶酔できるのも英語学習に生きてると思う。

About being open2021.03.09

英語の勉強をしていて(勉強というと大げさだけど)「あ、これあの人と話せたらいいな」と思いました。

レッスンのことを考えたり、教材をみたりしていて、習ってくれている人たちのことが浮かぶのが、わたしのレッスンのまんなかにあるものだ、とふと思ったので書いています。

もちろん、その方々が英語とうまく関係を築いていってくれるのが目的ではあるのですが、目の前の人にひらいて向き合うことも one of the most important things だと常々。

翻訳も同じかな。

自分がオンラインで生徒としてレッスンを受けてもいますが、何人か先生としてネイティブスピーカーと話して、今固定の人がいて。その方がやっぱり一番安心感があったからというのが理由かなと思います。

レッスンを受けてもらう方にオープンで、安心していてもらうために、わたしもオープンであろうと、今までもそういうつもりでいたけど改めて小さく唱えます。

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たまにホテルステイを。好きな風景。新しくて大きなへやに思ったよりずっと安く泊まれるのですねえ

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光の当たる方向は違うけど、恋愛方面の人間関係は距離を詰められるとシャッターを下ろすクセに気をつける、急に白黒はっきりさせない、向き合ってみることをリマインドします。。

自分の心の動きを放置しすぎて気づけなくなっているので、外見から変えて心が動くのに気づいてくださいと言われました。心の第一声を大事に。平常心を大事にしすぎた。

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ある日のkäsiさんにて。苺あんバターサンド。この浮き立つ気持ちよ。らぶです。

Where You Belong2021.02.24

belong という感覚。 最近見る作品でよく “This is where I belong(ここがわたしの居場所だ)”というようなセリフを耳にする(わたしの耳がキャッチする)。

月の始め〜半ばまで、家族の音が気になったりしてなにか落ち着かず、一人の場所をもつのがいいのか、いや、それは何か違う気がする、とかなり逡巡していました。なんだか今年は新しい場所に移る人が多いので、みんなが「居場所」を見つけているのに気持ちが急いたのかもしれません。

言葉にしてみたり、思いついた人に話してみたりして、整理している間に状況も気持ちも落ち着いてきて、わたしの居場所に戻ってきました。ええ、そしてbelongの感覚。居場所は一人ひとつではなくて、たくさんある。たくさんというか、これも瞬間の連続かもしれません。「家」にいていなくても、「ここに居るなあ」という気持ちに1日に何度もなったりする。『フランクおじさん』という映画の最後のシーン、主人公ベスのモノローグがぴったりきたので記しておきます。

“What I remember most about my Granddaddy Mac’s funeral is, just sitting around the backyard, after everybody else had left. And it was just us. The sun was starting to go down. There was a breeze. And I remember thinking, this is where I belong. Not like I belonged with my family. It was bigger than that. Like every single one of us belonged there, in that backyard, on that afternoon. And I realized in that moment, we were all exactly where we were supposed to be.”

「祖父の葬式で一番覚えているのは、裏庭で過ごした時間のこと。他の人たちが帰ったあと、私たちだけで。日が傾き始めていて、風が吹いていた。ここはわたしの居場所だ、と思ったのを覚えている。この家族が、ということではなくて、もっと大きな意味で。あの日の午後、あの裏庭は、私たち一人一人の居場所だった。それで分かったのだ、私たちはみんなちゃんといるべき場所にいると。」(和訳は字幕に基づいたわたしの創作なのであしからず)

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随分久しぶりに。関東へ引っ越すAさんに直に会えるラストチャンスだったので。この日はとってもあったかくて、何度もbelongの気持ちになったなあ。

One Step at a Time2021.02.01

何ごともone step at a time だなあと改めて思います。ドラマチックでマジカルな変化を求めてしまうこともあるけど、そしてそういうこともあるけど、それも、そこまでの積み重ね、ちょっとした日々の行動がある日大木が倒れるように、わかりやすい変化として現れているのかもしれません。なので、「こうなったらいいな」という方向に少しずつでも歩みを進める、も心のどこかにおいて。

「下手でもトライして良い」という言葉も違うけど似ている気がします。先日書いた本 “Artist’s Way(ずっとやりたかったことを、やりなさい)” に
「ふつう「自分にはできない」というとき、私たちは実は「完璧にできるという保証がない限り、やりたくない」と言っているのである」「むしろトライするリスクを負うことに意味がある」
とあって、思い当たる節ある〜〜とゴーンと頭上で鐘が鳴っておりました(恋愛もそれでか〜!?とか、、)。別に「なんでもかんでもやってみないとわからないからやりなさい」と言っているのではなくて(やりたくないことはやらなければ良い)、興味はあるのに「できない」って言うことについて。あとまあ、「上手くいかなそう」と思ってやってると上手くいかない。不安や緊張は持っていてもちろん良くて、何かにつけてそのプロセスやその瞬間にやってることを楽しめてたらいいのですよね。これも思考のクセとの闘い(?)なのでぼちぼち実践したいです。

そんなこんなで、毎日ちょっとずつ冠詞のテキスト(英語)、韓国語のアプリ、段ボールコンポスト。英語のドラマ毎日見てるのも、やっぱり馬鹿にはできない影響力があるのだと思います(もちろんステップというものがあるので、特にビギナーは文法やら多角的に攻める方が効果的。韓国語のドラマはわたしもまだまださっぱりわからん)。他にもいっぱい積み重なってると思うんですよ。なんか違うな、っていう積み重ねは剥がしつつ、やりたいことは、時間が・お金が、を言い訳にしないで小さくトライだ〜、と思うと「何ができるかな」ってちょっと楽しくなってきます。

Tuning Up2021.01.28

ここ数日は「私って一体何が好きなんだろう」に立ち返ってしまっていました。もちろん、今仕事としてレッスンや翻訳ができていることは大切だし、ありがたいのですが、これまで〜今を振り返ると、その中でもずっとピントを合わせ続けてきて、少しずつクリアに音合わせがなされているので、こういう「ねえどうなの、わたし?!」という声は大事だったりするのです。

それで、今日のところまでのまとめとしては、英語は確実にわたしの好き(LOVE!)なものや人を繋げてきてくれてる、ということ。
たべもの、場所、アート、本や旅など、その中でも「最高!」「かっこいい!」「すごい!」と思うもの、響くものをつくる人やそれに携わる人との関わりは英語がもたらしてくれた部分が大きいし、わたしも自分ができること(=英語)でそういった人たちと近くなること、その力になれることが幸せです。

「ずっと、やりたかったことをやりなさい」という本。何年も前にスタンダードブックストアでパラパラ立ち読みしたけど、そのときはそこまで響かず。最近、新版や続編が出て見かけるようになって、手にとって必要だなと思ったので読んでいます。

「わたしたちは何かをひねり出すことがアートだと考えるが、実はそうではない。逆に、すでにあるものに触れ、それを原稿用紙や大理石といった素材に「降ろす」のがアートという行為なのだ」
色々と膝を打つ言葉はあるのですが、これを読んだときは、翻訳やレッスンでもこれに近い感覚があるのでなんだか少し安心しました。時々、自分がやっていることは「正解」があってクリエイティブな行為ではないのでは、と思ってそれがちょっと悲しかったので。

英語や語学や翻訳に対する興味は終わらないし、好きではあるけど、もしかしたら上にあげた「好き」の方が大きいかも。それに「料理が好き」と言っても色々あるように「英語が好き」にしても色々あるのだ。どっちの好きも大事にしたいし、モヤモヤした気持ちに少し明かりが差してきていてよかった。

Stop stopping myself2021.01.14

I don’t know if this makes sense or not, but 自分を止めるのを止めること。

I used to think “I shouldn’t do this now. I need to choose whatever helps to build my English, teaching skill, or translation skill.” あまり英語以外のもの(例えばドラマとか映画とか)に興味がなかったというのもあるけど、こんなことやってないで〇〇をやらなきゃ、は緩めようと思います。教えることや翻訳を仕事にしてるなら、これぐらい知ってなきゃとか、もっと研究・勉強しなきゃとか、そう思うことを止めるのはちょっと難しいけど、自分の「興味」スタートでやっていきたいです。それはレッスン受けてくれてる人にも自然と還元されていくと思うし。For that, too, I need to slow things down. 誰でもそうかな、目の前に仕事としてやることがあると優先してしまうので、やっぱり詰めるのはよくない。ある人が、「頑張ったら・無理したらできる」までを「できる」に含めることは長く続けるためにはやめた方がいいと言っていて、I couldn’t agree more と思ったのでした。バリバリ頑張って、熱心な人(そう見える人?)を見るとそれが「充実」のような気がするし、わたしもそうしなきゃ、と思ってしまうのですが、(わたしにとって)果たしてそうなのか?というのが目下テーマです…

英語が「できる」ようになってどうなりたい、とかがないなあ(困)という今。少しずつ泳ぎ続けたい、というのが正直なところです。英語のことを知ったり、触れたりするのはおもしろいなあと依然思うし、みなさんとレッスンをするのは楽しいので、その気持ちをうまいこと残していきたい。。

Since the beginning of this year or the end of last year, I’ve been interested in some other things.
・Teaching Japanese
・Reading horoscope
・Using money well
・Taking care of my body
・Non-English dramas or movies
どう進んでいくかは let it happen として、I’ll follow my mind できることからやってみようの気持ちです。

あと、今年は、なのかどれぐらいのスパンなのかわかりませんが、あまりウロウロ出かけないような気がします(コロナだから、というわけではなく)。

What do I want to pursuit?2021.01.13

I think it’s good to take time to think about what you want to do, there’s anything you feel unhappy or wrong about, or how you want to live this life from time to time.

自分の今の状況を時々内省するのはいいことだと思います。やってもいないことで悩むのではなくて、やってることについて考えるのが大事かなと。それについてどう感じているのかを考えると、やりたいこととも繋がって、自ずと次のステップが見えてくるような。めちゃくちゃ段差の小さいステップでも、踏んで行くことが大事だと定期的に自分にリマインドしています。

ただそれは、目標のための苦難の道のり、というよりは道のり自体も(を?)楽しむと言うか、あまり道のりだと気づいてないぐらいだったりもします。

全然違う話だし、全くまとまっていませんが、最近「相手は自分を投影したもの」というものごとと出会うことが多いです。「A子さんの恋人」を読んでいて、相手に同化してしまって自分を失っていたのだ、というのにも何となく膝を打ったり。

いや、何も合わせることや同化して幸せであることが悪いのではないのですが、その自分が好きか、それで自分を生きてる感じがするか、何か失われたものはないか、ということは心に聞いてみてもいいのかなと、ぼんやり思うのでした。

For another happy year2021.01.09

ますます自分で考えて、決めていくことが大事になってくるのかなあ、と言うのが色々と起こる世界を見て年始に思うところです。別に人と違う選択をするのが良いのではなくて、結果「多数」側の選択をしたとしても、自分で腑に落ちているなり、後々何かや誰かを責めることがないようにしたいですね。

穏やかな年始。(母が)作った数品のお正月料理とお雑煮と、いつもより少し間延びした、解放感のある時間が過ごせました。寒さが厳しくなってきていて、コロナの感染者数もどんどこ増えていて、自分が望んだ時以外、家から出ずに仕事もできるありがたさを噛み締めております。

ひとつひとつのレッスンやご縁がある翻訳にまっすぐ、あたたかく向き合いつつ、生活(ご飯やおやつや掃除や洗濯や、ぼんやりする時間)を大事に日々過ごしていきたいなと思います。良いのか悪いのかはわかりませんが、意識的にも無意識的にも生活や「何しようかな〜」という時間、パッと思いついたことができる余白があることを優先してきたように思いますし、やっぱり自分にとってそこが安定して満たされていることは、その他のことにも活かされていると思うので、これからもそこは大事にしたいなと、これからのことを考えてまず思いつくところ。

個人としても、世の中も、一体どうなっていくのかしら〜と思う日々ですが、自分なりに考えて決めること、目の前のことやひと、自分の根っこを大事にすることを忘れずに、素直に。

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おみくじは久しぶりの大吉、しかもこの上なく良い大吉でうれしい〜(けど逆に心配になる小心者)