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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

Minor Adjustment2021.12.14

旅でいろんな人に出会って、自分のことを話す機会があるのも良いことのような気がします。紋切り型に話していることもあるけど、そこで微調整もしている気がします。ESS(英語のレッスン)と翻訳、というのは変わらないけど、自分のスタンス・姿勢を改めて考えたり。

わたしの英語のレッスンはやっぱりESS(えいご・しゃべれ・そう)がちょうど良いようです。自分の中に「話せるようになってほしい!」とか「何かを目指そう!」「頑張りましょう!」という気持ちがなく(笑)、英語のことを知ったり、ちょっと使ってみたり、なんとなく距離を縮めていける、そこに「たいへん」とか「しんどい」とか「やらないと」みたいな苦しい感情は生まないようなレッスンになるのだろうなあと思います。「別にしゃべれなくてもいいじゃん」というのは前から思っていたけど、「喋れるようになる」レッスンではないと言うことを恐れずにいきたいです。「ペラペラになる」レッスンではないけれど、気持ちのハードルを下げたり、自分の「できる」ことを認めたりはできるように。わたし自身が帰国子女でもネイティブでもなく、でもまあコミュニケーションはある程度大丈夫でしょう、という「ある程度の自信」があるので、それが伝えていけたらいいかな。なので「えいご・しゃべれ・そう」なんだと思います。ただ、「英語のレッスン」というと一般的な固定観念があったりするので、その方針(?)は伝えていこうかな、というところ。

翻訳は、基本的に「あなたのために役に立ちたいです」という気持ちのもと。学生時代に米井先生から学んだ(と思っている)通り、翻訳行為は言葉から言葉だけではなく、コンテクスト(中身)を伝えること。柴田さんの言う「ヴォイス」のようなことでしょうか。日本語で日本人が読んだ感覚を、英語で読んだ人にも感じてもらえることが理想。自然とわたしも共感できたり、かっこいいと思ったり、好きだったりするご依頼ばかりなので、ありがたいです。日本語で読んでも響かない人には響かないし、それは英語も同じかな(逆にそういうのが英語の方で万人受けしたら、誤訳なのでは、、!笑)、というのを気休めに、きた球は心を込めて打ってゆきます。

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東京都現代美術館で観た、クリスチャン・マークレー「トランスレーティング」で、ほう、と思った作品たち。