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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

What I learned from interpreting, and working for free2020.03.06

映画館で映画を見る楽しみを伝えるユニットCinemactifを主宰するペップさんからのご縁で、ハリウッド映画『KIN』の監督とのスカイプQ&Aの通訳をしました。

通訳ってのは、わかっていたけどかなりアスリートです、やっぱり。
日常会話ならまだしも、インタビューや会議などの内容が濃ゆいものを「瞬時に」日⇄英する(のを数時間続ける)のは、なんちゅうか、車のギアを終始入れ替えまくっているような、いや、むしろ仕組みの違う車を同時に運転しているような。。
ちゃんと聞いたら「あ、違った」ってとこもあるだろうし、(時間が押していたのもあるけど)端折り方がひどいところもちょいちょいあるので58点というところ…
要点をうまく掴んでアウトプットできたときは「波に乗れた」感じがするので、これをどれだけ高い割合で維持できるかが大事だな、と思いました。身体感が面白い。

翻訳やレッスンと違って普段やり慣れていない、しかも相手は長編デビュー作とはいえハリウッド映画の監督、そしてポッドキャストのリスナーの期待や批判を考えてのプレッシャーで、自分でも気づかぬうちに胃が荒れていました(豊中の展示直後、回復前に動き出したし)。
そうそうないチャンスだし、ワクワクしたけど、やるまでのストレスがな。。これも経験を積むことで少しは大丈夫になっていくんでしょうけど。怖がりなので、そういうステップアップは「気づかないうちに」ぐらいゆっくりな方がいいです。ESSの軸もそうですけど、動きが硬くなっちゃう力はない方がいいので…

あと、今回の件で仕事と報酬についても色々考えました。
<自分が惹かれるものを作る・ことをする人がいて、その人が英語で困っている。そこで私が(できる限り)役に立って、感謝されて、わたしもその一部になる>というのが成り立っていればいいといえばいいのだけど、じゃあ報酬としてのお金は一切いらんのかというと。食べたいものを食べられたり、行きたいところに行けたり、会いたい人に会って、本や映画や音楽や、好きなものを手に入れられたり楽しんだりできて、健康的な生活を送れていればいらない、んですよね…。でも、そのためには「お金」がいるのですよね。いや、お金じゃない方法もあるのでは、?というところでちょっと止まっています。

↑こういう形で自分を差し出せるために、お金という報酬を得るための regular jobを持つ人もいると思う。でも、そのregular jobが社会に加担していて、自分の人生の大半を占めていく、って考えたときに私の場合は腑に落ちなかった。私に英語を教わることや翻訳をしてもらうことに対して「お金」という形で感謝を示してくれる人がたくさん出てきた、という「腑に落ちる選択肢」が与えられた状況があったから、でもあります。お金はやっぱり感謝を表す方法なんじゃろうか。<感謝を表す方法のひとつ>という方がいいのかな。

ただ、こちらが値段を定めることに躊躇いがあって、どうにかできんかな〜と思っているのですが、その理由がちょっとクリアになりました…。<感謝>の大きさをこちらが決めてる気がするからかー。

見返りを求めない、ほんとのvolunteer jobの精神がかなり欠如しているような気分になる今日この頃。ま、volunteer jobはほんまにvoluntarilyに気が向くことだけでいいっか。

それはそうとて、喜んでもらえるように差し出せるものを磨いておかなければな、と改めて思うたのでした。

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惚けるために寄ったカフェにて。(ドリンクできたら呼ぶための)「お名前は?」と聞かれて「ゆきです」と言った時に自分がどれだけworn outしてるか悟りました。

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「チャーリーズ・エンジェル」は軽く観れて、楽しめた〜。男性はちょっとoffendedな気持ちになるんだろうか。クリステン・スチュワートかっこいいな。ノア・センティネオは喋るとマーク・ラファロそっくりだ。キャメロン・ディアスたちの前々作・前作から20年近いのか、というのは衝撃。