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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

What I found out yesterday2018.08.19

きのうは、昼から敦子さん・浩伺さんと初めて林さんの勤めるincurveのギャラリーへ、その後久しぶりに「月と六ペンス」へ。帰り道、「京都 やまほん」を見つけたので寄って帰りました。

で、ずっと考えてる、何かを見たりして「いいなあ」「かっこいいなあ」と思ったり感動したり、心地よく感じたりすることについて、自分なりの説明で腑に落ちるものがあったので書いておきます。

人・場所・物・作品・風景・言葉…それが何であれ、単に気持ちが静かに「落ちつく」というよりかは、互いの波がちょうど良く合うか、打ち消しあって凪ぐ心地よさ、という方がしっくり来るなあと思ったのでした。昂ぶって泣いてしまう、というのは、波長が合いすぎて大きく揺れるから。個人差はあるけど、みんな自分側の波はある程度の幅で調整ができたり、調子によって変わったりする。

だから、逆にざわざわしたり不快なのは、不協和音というか合わないことに敏感になっているのかなと。調子が良かったり、おおらかだったりすれば、そのあたりも自分が(無意識に)調律できる。

だからまあ、やっぱり環境が良かったりいいものを持ったり、いい人に囲まれたりすることは大事な気がします。自分が相手やものにいい影響が与えられるほどの力があればいいのでしょうけど。ざわざわしたときや調子が悪いときに落ちつく場所、というのも調律のイメージで行くとそんな気がしてきませんかね。

もしかしたら言語の学習も、子どもがわりかし自然にスルスルと100%正しくはなくても抵抗なくいくのは、その辺の許容範囲が自由で広いのがいいのかな〜と。色々と枝葉末節な疑問をもたず「何かよくわからんけどそんなもんか」と受け入れて「ふんふーん」と調律するというか。

やや胡散臭いですが、そんな感じです。

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にしおさんから「八月の水 5」そろそろ出来上がりのご連絡。締め切りに間に合わさねばと推敲がやや甘かったので自分の文章に不安ありですが… そして意味深な予言までもらう日曜日の午後。

今さらながら、オーディオブックうまく活用すればESS感味わいやすそうやないか…?