PAGE TOP

PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

Old story2018.10.05

腸は昔の記憶が蓄積しているらしい。我慢したり、無理したりした記憶が硬くなって残るのだとか。と、言われて昔のことを思い出していたからか、夢の中に初恋の人(!)が出てきて思い出したことがある。

「好きな人いる?うちはYくん」と当時仲の良かったEちゃんに言われて、初めて視界に入ったくせにYくんが最初の自覚的「好きな人」になった(単純)。5年生でクラスが離れるまでは、「ああ、Yくんも私のこと好きなようだ」と思うこともあったりしたので、その後少々押しの強めなAちゃんと「付き合っている」と聞いたときは(わたしの「好きな人」も変遷していたけど)残念だった。

年に何度か「差別ダメ」の運動の一環で「集団登校」というのがあって、参加する子供はそれぞれゼッケンに思いを書いてそれをつけて登校する。が、目立つので大抵学校に着いたら外して終わりなのだけど、小学校5、6年生のときのF先生が言ったのだったか「一日中つけてみる」というのをやったことがあった。

用があってYくん(とAちゃん)のクラスへ行ったときにAちゃんに「何でまだつけてるん w」というようなことを言われ、側にいたYくんにも同じ調子でかわかわれ、私はショックを受けて自分のクラスに戻った。冷静に考えればたわいもないことなんだけど、私は少々ドラマチックなところがあるので、しゅんとしてF先生に「ゼッケンつけてたらこんなことがあるんやな、せんせ…」的なことを言い、机に伏して、英語で言うところの make a scene してしまった。ざわつく教室。

対外的には「差別ダメ、のゼッケンをつけていたら二人にからかわれて傷ついた」という話だけども、Aちゃんは私と同じ被差別部落出身で、一緒にゼッケンをつけて参加する側だったので、正直「じゃれてる」ぐらいにしか感じなくて、要はそうやって傷ついて「ああ、Yくんのこと好きだったんだね〜」と改めて思ったのだった。いや、言われた瞬間エサに食いついた魚を引き上げる感覚で「ドラマスイッチ」が入ったのかもしれない。こわい。

何の話やねん、という感じですが、今も日々ドラマチックなんだけど、割と自分が欲するように自分を守るように生きられる一方で、小学生ぐらいのときが人間関係で「初めて」が多いからか、一番プラスもマイナスも体当たりでなんやかんやあって人との関係がドラマのようだなーと振り返って思う。そんな時期を共にサバイブしたからか、小学生の頃の友達と会うと、何となく「深い」ところで共有しているものを感じるのだ。

「ああ、体当たりでサバイブしたな〜」と感慨深く思えるのも、両親に全幅の信頼をおけていたからなんじゃないかと思ったり。当時は子どもなりに色々辛いこともあった気がするけど、子ども時代の思い出に「まる」が多いと以降それを推力にできるのだとか。

こんな話を読んでしまった方がいたら、申し訳ないね…