None of that Matters2025.04.22
前回のエントリーから1ヶ月以上経ってたなんて!
Rは1週間後オーストラリアに(一旦)帰ることになっている。なんていうことも、前回書いていた時はまだ分からなかったのだなあと読み返して思います。数回anxiety meltdownを起こしたものの(何度も同じ轍を踏みかける)、どうにか「どうにかしようとする」から「今の幸せにひたる」に戻りつつ過ごしております。それも彼の変わらぬ態度があるから、っておいおいまた外側を根拠にしているね。
そもそも、他のことは順調順調、ああなんて幸せなんだ!まあなんとかなる!と簡単に思ってしまえるのに、恋愛に関しては簡単に不安になる自分に気づいたり。(たまたまメッセージをやり取りしていたTさんに「終わらせたくないって思ったり、不安になるのは自然でヘルシーなこと」と言われてそれもそうだね、となった)
昨日も「サイキックの人が言うには、自分は2人娘ができるらしい!(ニコニコ!)でもしばらくはまだいらんけど(ガハハ)」と無邪気にいう彼を見て、もやっとする自分がいたり。でも突き詰めると、要は子供ができようができまいが、どんな状況であろうが、好き!一緒にいたいと思われたい、と言う無条件の愛的なところでした。で、それを求めるのじゃなくて、それを得たら自分はどう感じるのか、その状況が今ここにあるとしたら、私はどうあるのか、てことですよね。その状態を得るのに外側の条件をつけているのはわたしであって。なんで私はその状態を得られない(可哀想なわたし!)と思ってんのか。外側の条件を自分より上に置いている、ということなんだろうね。
いまだに「なんだこれ、なんで私はこの人とこんなことに?」と可笑しかったりもするのですが、多分思考をシャットアウトしてgut feelingに従った結果だと思います。だからこそ、思考や不安やでmess upしたくないのですよね。でもどう思っているかは正直に話しておきたいな、と言う気持ちもある。それでどうにかしたい、とか、じゃあどうする?と言うよりは、それを超えたところで話ができる気がするからかな。単に全部話したら気が楽になるからかもしれないけど。
先日久々にゆきんこさんのセッションを受けて、自分はどんな「絵に描いた餅」を描いているか、からどんな思い込みをしているのかが見える、ということや、その日の悩みやらを次の日に持ち越さない、と言うお話をして、何かがほどける感覚がありました。単純にもったいないよね、と思うし、悩むならそれすら楽しんでる、ぐらいで行くのだ。
さっきも、あー私はこんなことを求めているのかーーなどと気づいていた時に、none of that mattersと言う想いが同時進行で出てきて。仕事でもなんでも、自分が楽しんでdevoteしていれば、相手や周りの反応も意見も問題ではなくて(「問題」にするのも自分であって)。表情が一瞬曇っても「ま、大丈夫。大したことじゃない」とくるっと向き直すダフネ(The White Lotus Season 2)をまた思い出すのでした。