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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

How to find your teacher2020.02.14

英語を教える人も、教材も、山ほどありますが、学ぶのは自分だということから外れなければいいのかなと思います。

私自身いろいろと続かないのに一体どうやってここまで来たのかと思い返すと、わりと「断片」の連続だったりします。テキストでやってた時期もあれば、英会話習ってた時期もあれば、アプリやったり、Meet up系やったり、ドラマ、洋楽、映画、旅行、なにかでずっと繋がってきた感じです。

学生の頃は、好むと好まざるに関係なく英語も「やること」が与えられたし、興味があったから別に嫌じゃなかったけど、もちろん覚えきれないことも、間違えることも、頭がこんがらがることもありました(あります)。ま、それでもそこはちょっと置いといて学び続けてたらいいです。

一番いい方法を探すよりも、何でもいいから出来そうなことをやってみるのが良さそうです。「いい!」と思ったら続ければいいし、「なんか違う」と思ったらどうしたいのか考えればいいし。だから、英会話スクールでも誰かに習うでも、変えたり辞めたりするのはいいと思うんです。わたしもできるだけその人が「学びを続けられる形」を考えたいので、ポジティブな、主体的な選択ならわたしから習わなくてもいい、っていうのはいつも思ってる。

・一応ルールとして文法を知っておく
・コンスタントなインプットとアウトプット
(量は「続けられる程度」で)
をベースに、やり方はしばらく続けて微調整して。

あと、やっぱりESS(えいご・しゃべれ・そう)に戻ってくるのですが(手前味噌、ていうかニシワキ先生、、!!)、「聞けそう」「読めそう」「話せそう」って思えるのが一番大事です、ほんとに。(や、だからわたしはそう思ってもらえるように頑張らんとあかんのやけど。)うまく「ガイド」になってくれる先生がいいよな、と思った最近。双方向でやりとりがあるのが良かです。

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1年かけて準備をしてきた_act_の展示が始まりました、豊中市民ギャラリー。
IMG_6807

わたしの目に見える仕事は文字情報なので視覚に訴えないし、即興性もパフォーマンス性もない(できない)ので極めて地味で、それはそれで全くいいのだけど「easy job しかしてないように見えるんじゃ」とくだらない被害妄想に囚われる自分がいたりもしつつ(ほんとに自分のできることしかしてないから当然ちゃ当然)、だからわたしの何を見に、ではなくて、とにかく part of it であるこのかたまりを見てほしいという気持ちです。

会期が進む中や会期を終えて、振り返るのも楽しみ。