Where’s the Proof?2025.06.06
今、ここにわたしが英語ができるという証拠もなければ、できないという証拠もないわけで。
「できると思っている」というのが唯一の証拠というか。今ここで「できる」につながることをたくさん紐付けしている、もあるかな。
「できたらいいな✨」と純粋に思ったことは叶う、というのは英語を通した(他にもあるけど)実体験としてそうだなあと思うのです(というか、何事も思ったようにしかなっていない、というのは8年前ぐらいにははっきり感じていて、どこかに書いたと思う)。「できない…」と思ってもおかしくないような出来事も、凹んだこともあったかと思うのですが、そっちに舵を切らなかったというだけなのではないかなと。もちろん今でも「できない」のラベルを貼ろうと思えば貼れるのですが(そのきっかけはいくらでもある)、わざわざそれをする理由がないし。
なので、「できそう」「できてんじゃない?!」と思いつつ目の前のことを楽しんで、楽しめそうなことをやっていく、結局それだけで。ESSは「楽しめそうなこと」の一つだったり、「できそう」と思えるための伴走になっているのではと思っています。
そしてこれは、英語以外のことでも同じで。わたしも「いいなと思うけどできない」ことは、そう思うための紐付けをたくさんやってきたんだろうと思います。うれしい、幸せな紐付けはいいけど、しんどくなることはやめたらいいんですよね。いますぐ。できない、と思うことで自分を下げる(できていることを今の自分の上に置く、これさえできれば完璧、と思うなど)のもやめる。今はそれに少しずつ気づきつつ解いているところ。えいえいおー。