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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

When the party is over2020.02.24

Billie Eilishの歌のタイトルみたいですが、そんな感じです。祭りのあと。豊中市立市民ギャラリーでのactの展示が終わりました。気持ち的には今までのactの展示と変わらないつもりでしたが、やっぱりcommit度はそう言われれば高かったかな。「達成感」と言うよりは、できることはした、けど何か「もんやり」するとこがあるのは何だ。もうちょっと伝え方あったかな、というかそもそも、伝えたいことが定めきれてなかったかもしれません、個人的に(もんやり①)。「こんな人たちが関わってる」っていうのは見せられたのかな。来てくれた人たちも、そういう関わりがそこここにある、というところまでもうちょっと言えたらという気持ちがあったのかも。

見にきて欲しい、と思って色んな人を呼んだら結構きてくれてうれしかったけど、何で来てくれたんだろうな…(もんやり②)確かに「翻訳で関わった展示」というよりも今回のかたちは入り口がいっぱいあって興味を持ってもらいやすかったのかな。

人に話しながら、その場の説明としてはそれなりにちゃんとできるものの「あれ?actとは…」って自分でもなってました(もんやり③)。しかしこの「見に来て欲しい」はなんなのかというと、2014年から同じ形で関わってきたから、actというものに対する愛着のような。そうか、ここまで誰かと一緒に携わる、何かをつくる、みたいなのがないからか。ああ、今気づいたわ…

普段、チームのひとりというよりは主体は相手にあって、部分的に依頼してもらっていることが多いからなあ。「好き!すごい!みんな聞いて!」という思いはあるけど1対1だったり、会社対デザイナーさん(からの→わたし)だったりですものね。

常に一緒にやっているのではないから、メンバーのことも「この人たち好きなんです、みんなすごい」って言いやすい。何度か「あなたもすごいよ」って来てくれた人に言ってもらったけど、それを受け取るたびに「己の自信のなさ」を実感しました。自分の翻訳がダメだ、とは言わないけど(ちゃんと真面目にしてるし)。作ったものを「いいやん!」とか「好き」とか「すごい」とか言われないからか、って気づいて己の幼さに落ち込みました、嫉妬やん(もんやり④)。とはいえどこかに「うーん、これはもうちょっと訳し方あるよね」って言われそうな部分もあるだろうから、軽く流してもらって大丈夫です、とも思う。

あと今回、前から浩伺さんに「絵とことばで何かできたら」と言ってもらってて、<浩伺さんの絵にタイトルをつけてもらう>ができたのは、とてもよかった。それで「絵をみる」ことに気付いてもらえたら、という目的も、たくさんの人がその問いかけに答えてくれたことで、かたちになってうれしかったです。それで、敦子さんが「絵からの問いかけを翻訳してくれた」って落とし込んでくれたのはものすごくありがたかったな。わりと終始林さんがモヤッとしてそうだったので、どうしたら良かったんだ、と思うけど(もんやり⑤)。

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会期半ばごろのそれ。

会期中、toiroでのnmn books のまさんの展示に行って、ことばと色々なものが美しく示されていて、くやしいぐらいロマンチックだったのも、いい刺激でした。わたしはそこまで昇華できてないし、良くも悪くも雑多なので…
でものまさんと話していて、本への愛や、自分が紡ぐことば、英語のハッとすることばも大事にしようと思いました。。

もんやりしていたことを言葉にできてスッキリした…
Anyways, I guess I thought about those things this much because I committed deeper than ever. I love them all, members and people who came to see our exhibition. Loved the dinner we had last night.