What Matters2025.04.22
普段、不足や問題を見ていない者にとって、それを見る時はチャンスなのであって。
「ほんとうに自分が欲しいものはなにか」を知るチャンス。
自分に自信(?)がない物事ほど、外側(人の言動やできごと)に重きを置いてしまうんだなあと実感しています。ある程度(根拠はなくても)自信や確信があることや、ただただ自分がやりたいから・楽しいからしていることって、外側は適度にスルーしてたりするな、ということも気づく。
今のわたしにとって、子どもを産まないかもしれないということは自分の意思と関係なく身体的に差し迫った事項なので、どうしてもそこが外側にも現れてくる(そう受け取ってしまう)のだろうなあと思います。産みたいか、産みたくないか2択です!と言われたら産みたい、ものの、産まなかったとしても、それに一緒に寄り添ってくれるパートナーがいれば全然それでよいのです。ただそこで、気持ちが動く出来事があったときに「産まなかったことで傷つくかもしれない自分」にフォーカスするよりは、「産んだ自分」「産まなかったけどそれでパートナーと全然ハッピーな自分」がどういう状態・感情・体験をしているのかを知るチャンスと捉えたく。もうその時点で、産むか産まないかは問題ではなく。
ていうかそんなごちゃごちゃ考えてない人は、産む産まないどちらにせよさっさと望みを叶えているんですが。まあでも「悩み」として持ってしまって、スルーするのが難しい自分に気づいたら、そこから放たれるチャンスだっ!とすると楽かな。。その「悩み」が解決したらどう感じるのか、どういうふうに自分を見ることを許すのか。そこを解いてあげられたら、外側はコントロールする必要もなく勝手に良いように変わる、というところまで信じて見つめたいな。
この間「どうしたら英語が上手くなってる」と感じられるか?と言う話を生徒さんとしたけど、それも同じなんだよな、と思います。気にしすぎずに楽しむのが一番。コツやら技やら世に溢れる「やり方」は、そのためのツールです。どうすれば良いか?を気にしすぎずに楽しめるなら、なんだっていいんです。