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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

No more than just a coincidence2020.09.22

今日のことは記しておくとのちにおもしろいかも、と読んだので
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朝からゆみやんのインスタグラムで厭離庵という場所の山中美有紀さんの写真展「もの」のことを知って、無性に行きたく思いました。失礼ながら写真自体に惹かれて、というよりはその場所や空気感を味わいたくてという気持ちが一番大きかったように思います。もちろん作品が気になったのもありますが、山中さんの略歴(奈良の方というのも、一押し)やことば、住職さんのお茶席、Stardustかなさんのお茶菓子、まみさんの演奏など理由はあげれば色々あります。

展示期間は今日まで、場所も嵐山のさらに奥、ということで最初は一瞬諦めました。今日は家で仕事のち軽く食べて別の展示をのぞいてレッスンへ行くのだ、という段取りによる逡巡があって、今から準備して出れば小一時間ほど滞在できると分かって、「別の展示」は諦め(会期はまだある)、お昼を抜く覚悟で(覚悟!)飛び出しました。

初めての場所、とっても美しい空間で1対1のお茶席は緊張したものの、住職さんのお話や山中さんの親しみのある物腰で少し和らぎました。お茶室も展示会場も忘れたくない静けさ、景色、音や風でした。安心感。

山中さんの展示に寄せた言葉の中で、特に気になった部分。
「〜ある人は言った。正しいものが正しい場所に配置される時、その形は万物を表すと。でもそんなものは無かった。それらは偶然にできた仮初めの形でしかない。形を形と在らしめるのは、人の意思。

この世界は空っぽ。その中を満たすは響きあう無限の音。
そして全ては走馬灯のように過ぎ去っていく、詩(うた)。」

理由やきっかけはそこここにたくさんあるけど、行っても行かなくてもいい(どちらの選択も間違いではない)のだけど、そこへ行った、そこにいたということ。

わたしは一体何をしているのかしら、何がしたいのかしらと思うこと
動いていたいこと、静かにしていたいこと
響きあいのこと、を改めて。

In the end, I feel grateful for everything that brought me to the place I didn’t know until this morning.

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