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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

202410012024.10.03

10月。10月か〜 という感じ。

9月はポルトガルに行ったのですが、流石にそういうイベントがあると盛りだくさん感がありますね。ポルトガル、気候も食事も人も街並みもとても良かったのだけど、ああ、もうちょっと滞在したいな、また早く行きたいなという気持ちではない。

理由はたぶん大きく二つほどあって、一つ目は気候。私は多分晴れも美しいけど時々雨も降って緑がもりもり街中に溢れているのが好きなんだという気づき。二つ目は、ポルトガルに行っていたものの、目的がアメリカ人のホストファミリーに会うことだったので、半アメリカ半ポルトガルみたいな感じだったからかな。積極的に街の人と関わることをあまりしなかったのもある。ロンドンやオレゴンの方が自然と「また行く」と思ったのだ。ヘルシンキやニューヨークもそうだけど、ちょっと寂しさ(?)もあるぐらいが好きなのかもしれん。ノスタルジー。

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今の生活も人も大好きだけど、「わたくしの生活」もやりたいのと、違う街で暮らすというのにもわくわくするので、やっぱり動くかな。部屋探しが楽しかったのと気持ちが前のめりなのもあって、内覧とかし始めたけど、なんせ3ヶ月先の契約とか待ってくれないのと、私も見に行くことで方向性が定まってきたので、ひとまず休憩。また11月半ば以降に再開します。それまでは、好きなお店や場所に足を運んでイメージを膨らませたいと思います。

ともすると現実的に賃料は安い方が…など考えて住むところの落とし所を探ろうとしていたのですが、「気分が上がる+安心するかどうか」で街も部屋も決めるぞという決意。一生住むつもりでもないのだし、という気楽なマインドセットも思い出しつつ。

今のところ、京都市内か大阪市内の好きエリア(徒歩圏内に落ち着くカフェとスーパーと緑エリア複数)。防音性高くてお部屋の中身がきれい(清潔)・機能的、が大事という心持ち。

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この間、佐知子さんと「スキーマ」の話をして、何もかも受け取り方次第ということにまた結びつきました。幼児の言語習得の話から始まったのだけど(目にシャンプーが入った子供に「パチパチして」というと目じゃなくて手をパチパチした、とか、走り方のアドバイスとして「手を振って!」というと「バイバイ」する、とか)、大人になっても個々人の「スキーマ(人間が経験の積み重ねにより獲得する、外界を限られた情報から理解するための枠組み)」があるのだ、ということを皆が分かっているだけで世界平和につながる、というのは本当にそうだよなーと思う。同時に、自分のスキーマを超えて都合よく、気楽に受け取っていけばいいのだとも。

なんだかゆらぐときは、私が自分を決めきれてないからとも言える。それは、具体的に行動を起こすとかそういう以前の問題で、自分の状態や気持ちを決めれてないと、起こることや言われることに逐一ぶんぶん振り回されるんですよね。「思ったとおりにしかならない」「なんかわからんがうまく行ったマインド」なんて随分前から自覚していたので思い出すだけなのですが。「自分のことは自分が一番分かってる」という敦子さんの言葉もお守り。

それでも、焦ったり妬んだり僻んだりネガった時は「僕らは所詮エゴまみれの人間を地球でやってるんやから、ほんのちょっとでも何かに感謝できてたら十分よ」というジム・パーソンズの言葉を思い出して気持ちを落ち着かせるのだ。