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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

北風と太陽2016.09.04

わたしが、なのかもしれないし、世代が、なのかもしれない
ちょうど私たちから下の世代を「怒りにくい」と少し上の世代の人が言っていた
怒ると本気で落ち込むから、と
「叱咤激励」でいうところの「叱咤」が苦手である。

先日そのことについて、Y子さんと話した。
Zくんのお父さんは簡単には褒めないよう。
良くも悪くも「対等」で
10歳のこどもとしてあまり見ていないと。

「もっとできるはず」という可能性を信じて、なんですよね
と言いながら、自分がこどもだったときのことを思い出していた。
母親のアドバイスに対して「わたしはほめられて育つ人間だ」と言って困らせたことがある。私が書いたもの(習字だった)に対して、もっといいものができるぞ、という可能性を信じて言ってくれたんだけど、自分が「これでよし」と思ったものが認められなかった、という思いが強すぎた。
「うーん…もうちょっと良くなるはずなんやけど、どこ直したらええんやろ」と思っていたら受け止められたはずだ、とも思う。

この間見た「Beautiful Losers」というドキュメンタリー映画で
あるアーティストが小さいときに描いた絵に対して
「いいね。もっと描きなさい」と言ったからその人は開花した
特に注意を払われなかったら、もうそれ以上その子は描かなかったかもしれない
と、ギャラリーの人がいうのを聞いて、やっぱりなあ、と思った。

誰になんと言われようと、見られてなかろうと、やりたいこと・やってしまうこと
というのも大事で、
「褒める」ことはほんの一部だと思うし、コアではないけど
やりたいと思う・楽しいと思う・ほめられる・見てもらう
この要素がぐるぐるとつながって「継続」という結果になるのだろうなあと
なんとなく思っている。
アドバイスや叱咤も時にはこの中に必要な要素で、
うまく入れられたらいいエネルギーが生まれるんだろうな。

 

それとは話が違うのかもしれないけど
人でも何でも、優しくされたら優しくなる
というのも希望のようにいつも持っています。
まずは自分だろ、という自省も