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PINE TREE TRANSLATION

Diary

 

やさしさについてばっかり考えています2016.11.01

今日(11/1)レッスンのあと對中さんに
「今後やりたいこと・めざしていること」について聞かれて考えたのですが
いちばん大きなことを言うと「やさしい世界を作ること」
わたしにとって、その媒体がESSとか翻訳とかことばであり続ければいいなと

気持ちの良いことにお金をつかっていきたいし
お金をつかってレッスンを受けてくれている人に
いい時間を過ごしてもらえて いい気分になってもらえたら
そのあとの時間・その人が接する人にもいい影響が続くかなあ・・と
で、英語も学べるっていう(おまけか・・)
作家さんの力になりたいっていうのも
わたしが平和な・おだやかな・前向きな、とにかくプラスの気持ちや
「考える」という時間をもらってるので、そういうことかなと思います

わたし自身が、すぐいっぱいいっぱいになるし
そうなると、優しくなる余裕がなくなるし
でもその流れにはなんとか抗って
いい循環をうみだしていけたら というイメージで動いていきたいです。。

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それとは逆の、悲しい気持ちを味わうのはつらいですが
それで、より自分の方向が定まります・・
と言いつつ、どうしてもわたしが悪いんじゃん、いいわけじゃんと
なりそうで怖いけど書いとく

昨日は月に数回させてもらっているレストランの電話番で
お客様の楽しみを削いでしまうようなことをしてしまって
それはわたしの気が回れば防げたことで
(もちろん言い訳はいくらでもできるのですが)
このことに関しては落ち込んで反省して次へ・・と思ったのですが

そこで その気持ちを沈めたのは
それを指摘し、責めたオーナーのことばと行動でした
(本人はできるかぎり冷静に対処したのだろうけど)

わたしが素直じゃないとか言われたら、それはそれまでだし
わたし自身が すぐムスッとするタチなので
オーナーの悲しみ→怒りもそれはもう、ごもっともなのですが
そこからどう動くか で 次の流れが変わる気がしました
なんでかっていうと、問題より指摘の方があとに来るから
(おいおい 自分が悪いことしといて 他人事みたいに)

・・・ざっくり言うと
責めたら責めっぱなしで悲しかったんだよ
ってことかな・・・(子どもか)
そういうやり方で生き抜いてきた人・成功してきた人にとったら
わたしはまるっきしの阿呆ですが
それこそ世界的に認められる人物なんだったら
それじゃまずいんじゃないかと思わなくもない
プロとして、とか、これだけの代金を払ってきてもらうんだから とか
って当然なんだけど、もうそこからは出たい
(というか彼の言いたいこともきっとそこじゃない)
なんというか、そういう循環にはもういたくない
ってただの甘ちゃんにしか聞こえないけど
やっぱりやさしい世界には繋がらない気がするんですよ・・

もうちょっとうまく言えるように考えよう
やし、人にやさしくしよう・・